前田亘輝
別名前ちゃん
生誕 (1965-04-23) 1965年4月23日(59歳)
出身地 日本・神奈川県厚木市
学歴神奈川県立座間高等学校中退
ジャンルJ-POP
ロック
担当楽器ボーカル
ギター
活動期間1985年 -
レーベルCBS・ソニー(1985年 - 1991年)
Sony Records(1991年 - 2001年)
ソニー・ミュージックアソシエイテッドレコーズ(2002年 - )
事務所ホワイトミュージック
共同作業者TUBE
本間昭光(2007年)
公式サイト ⇒TUBE : OFFICIAL WEBSITE
EAGLES[1]
レオン・ラッセル[1]
前田 亘輝(まえだ のぶてる、1965年4月23日 - )は、日本の男性ミュージシャン。バンド・TUBEでヴォーカルを務める他、作詞家、作曲家、音楽プロデューサー、馬主としても活動している。神奈川県厚木市出身。 1984年 1985年 1987年 1988年 1990年 1991年 1993年 1997年 2000年 2001年 2002年 2008年 2015年 2018年 神奈川県立座間高等学校在学中からビーイングの事務所に通い、同事務所所属アーティストやスタッフと交流を深める。3年生の時、学校に休学届を提出。本格的に音楽関係の仕事に従事するが、そのために仕事が多忙となり、学校を中退した。 趣味の一つにゴルフがある。ゴルフを本格的にしたいがためにギターをやめたという逸話があるほど。ミュージックステーションのトークで「ゴルフをやっているとギターが弾けなくなるんですよ、だからギターをやめたんです」と発言、司会のタモリに「ミュージシャンなら普通は逆だろ」と突っ込まれた(但し、弾き語りなどの形でアコースティック・ギターを弾くことがあるため、完全にギターをやめたというわけではない)[6] 。毎年1月にハワイで行われる「ソニーオープン」では、プロアマに参加している。また、その他の芸能人チャリティーゴルフにも度々参戦。2015年のザ・レジェンド・チャリティプロアマトーナメントでは著名人の部で優勝した。TUBEのコンサートライブツアー中にもゴルフバッグを持ち歩き、移動日など地方のコースも回っているという。他にも、水上オートバイを趣味しており、2007年7月5日の朝日新聞では、その水上オートバイにまつわるエピソードが紹介された。初めて水上オートバイに乗ったのはハワイであったこと、以来、時間を見つけては千葉県や伊東市の海で楽しんでいると語っている。 付き合いが良いことでも知られ、芸能界での交友関係も広い。重ねて自身の「スポーツ好き」なことから、スポーツ界での交友関係も広いことで知られる。芸能界では、織田哲郎、松山千春、ASKA、稲葉浩志、織田裕二、タモリ、和田アキ子、諸星和己らの名が挙げられる。特に、デビュー当初から公私共に仲が良いとして知られるのは、THE ALFEEの坂崎幸之助で、互いのラジオ番組に友人として度々出演している。坂崎からは「亘輝」という名前が読みづらかったせいか、「カキテル」と呼ばれているが、前田本人は「ヘンに思われるからもうやめてください(笑)」とこぼしている[7]。また、ASKAはミュージックステーションで共演した時に「前田は付き合いが良くて、誘えば必ず出てくる犬みたいな奴だ」と付き合いの良さを評価していた。スポーツ界ではラモス瑠偉、丸山茂樹、横尾要、宮本和知、井上康生、武田修宏、前園真聖、古田敦也らと親しい。
来歴
高校時代よりビーイングの事務所や地元厚木市のアツギ・ディレクターズ・カンパニー(ADC)などに通い音楽関係の事務所との関係を築く。ビーイング事務所関係では、浜田麻里のコンサート警備や、LOUDNESSのローディーを担った。
ビーイング社長の長戸大幸から事務所主催の「シルクロード音楽祭」が開催されることを聞き、参加を決意[2]。そしてシルクロード音楽祭を経て、以前からの友人であった角野秀行、松本玲二、音楽祭で知り合った春畑道哉の4人でアマチュアバンド「パイプライン」を結成。
「パイプライン」は「The TUBE」と改名[注 1]。
6月1日、「The TUBE」のボーカルとしてデビュー。
2月26日 - アルバム『LOOSE』でソロとしてデビュー。
初めてTUBEのシングル曲の作詞を担当(8thシングル『Remember Me』)。
11月21日 - 初のソロシングル『D・A・M・E』をリリース。
12月 - ライブツアー「LIVE AROUND CHANGE OF PACE」(北海道・大阪・東京)。
1月 - ライブツアー「LIVE AROUND CHANGE OF PACE」(仙台・福岡・名古屋・東京)。
5月15日 - Jリーグオープニングマッチ・ヴェルディ川崎VS横浜マリノス(国立競技場)の開会セレモニーで日本国国歌『君が代』の独唱を披露(日本で初めてのスポーツイベントにおける国歌独唱[3])。
11月 - 『Try Boy,Try Girl』をリリース。本作は100万枚には及ばなかったが、日本レコード協会ではミリオン認定されている(売上枚数は82.2万枚)。
12月 - シングル『そばにいるよ』をリリース。50万枚を超すヒットを記録。
『進め!電波少年』の企画でヒッチハイクを経験する。6thシングル『君だけのTomorrow』は同企画のテーマ曲。
9月 - 女優の飯島直子と結婚。
ライブツアー「LIVE AROUND '97 NOBODY CAN PRESS MY SOUL」(大阪・横浜・名古屋、3ヶ所6公演)。
5月 - 自身初となるオールナイトニッポン(当時は、@llnightnippon.com時代)のラジオパーソナリティ(単発)を務める。
4月 - 飯島直子と離婚。
12月 - ホノルルマラソンに出場。
テレビ朝日でソルトレイクシティオリンピックのキャスターを担う。
7月12日・13日 - 喉の不調により、TUBEの名古屋センチュリーホールでのライブが順延となる。
7月29日 - サッカー北京五輪壮行試合「日本VSアルゼンチン戦」で国歌斉唱。
キリンビールの第三のビール「スムース」のCMソングを担当。ジグソーの『スカイ・ハイ』をNOB SUMMER名義でカバーする。
TUBEのデビュー30周年記念ツアーを行う。12月20日、ツアー最終公演となった横浜アリーナで、近く声帯のう胞除去手術を受けることを明らかにした[4]。
浦和競馬場の重賞競走であるテレ玉杯オーバルスプリントにて、自身が所有するノブワイルドが1着となり、馬主として初の重賞制覇を果たす[5]。
人物・エピソード