前田一球・写楽
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前田一球・写楽
メンバー前田一球(引退)
(1953-10-24)
1953年10月24日(70歳)
前田写楽
(1953-11-20) 1953年11月20日(70歳)
結成年1976年(初代)
1978年(二代目)
解散年1977年(初代)
1988年(二代目)
事務所吉本興業
活動時期1976年 - 1977年(初代)
1978年 - 1988年(二代目)
師匠前田五郎(元コメディNo.1
芸種漫才
受賞歴


1980年 NHK上方漫才コンテスト 優秀敢闘賞

1980年 ABC漫才・落語新人コンクール 漫才の部 最優秀新人賞

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前田一球・写楽(まえだいっきゅう・しゃらく)は、かつて吉本興業に所属していた漫才コンビ。
概要

1976年前田五郎の弟子同士だった前田一球と初代・前田写楽で"初代・前田一球・写楽"結成するも、目立った活躍なく1年程で解散。

1978年2月、吉本新喜劇の座員だった浜田良典(後の二代目・前田写楽)と"二代目・前田一球・写楽"を結成。

1980年、NHK上方漫才コンテスト・ABC漫才・落語新人コンクールといった在阪局主催の新人賞レースで賞を受賞、毎日放送の「ヤングおー!おー!」にて村上ショージ、岡田祐治、前田犬千代・竹千代、Wパンチらと共に「パッパラパーズ」に抜擢、漫才ブーム以降の吉本興業の若手漫才師として松みのる・杉ゆたか、横山アラン・ドロン、伊豆あすか・奄美きょうかなど注目漫才師の筆頭として活躍するも、1982年吉本総合芸能学院の開校、1986年心斎橋筋2丁目劇場などでダウンタウンハイヒールトミーズなどの次世代の漫才師の登場により1988年解散。
メンバー

前田一球(1953年10月24日 - )本名は広瀬義政。愛媛県の生まれ、愛媛県立伯方高等学校卒業後、1974年前田五郎に入門。

前田写楽2代目(1953年11月20日 - )本名は浜田良典。写楽は2代目を数える。初代は1年ほどの活動で短期間だったので詳細不明。一般的によく知られているのは2代目。大阪府の生まれ、大阪芸術大学卒業後、1976年から花月の進行役から2年間吉本新喜劇に本名で出演。1976年2月よりコンビを組む。島田紳助率いる「紳助バンド(SHINSUKE-BAND)」のドラムで参加していたこともある。(後に脱退)後に前田りょうてんに改名している。妻は宗右衛門町でスナック「気楽」を経営している。2008年11月9日ワッハホールにて歌手の森千紗花の舞台「新世界歌謡道V 風にさすらう親子草」に出演。2011年7月20日、前田写楽の名前で吉本新喜劇に入団(事実上の復帰)。芸名もしゃーやんと名乗っている。2014年の8月29日の新喜劇特番にて髪を金髪に染め上げる。
受賞歴

1980年
第10回NHK上方漫才コンテスト 優秀敢闘賞

1980年 第1回ABC漫才・落語新人コンクール 漫才の部 最優秀新人賞

出演番組

テレビ

歓楽街行進曲(
毎日放送


ラジオ

日新です まいどおおきに(ラジオ関西


参考文献

「現代上方演芸人名鑑」(少年社、
1980年

外部リンク

しゃーやん プロフィール 。吉本興業株式会社










吉本新喜劇


NGK新喜劇

ゼネラルマネージャー

間寛平

座長

すっちー

酒井藍

吉田裕

アキ

リーダー

清水けんじ

信濃岳夫

諸見里大介

メンバー
(太字は元座長)

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吉田ヒロ

内場勝則

辻本茂雄

小籔千豊

川畑泰史

安尾信乃助

烏川耕一

やなぎ浩二

若井みどり

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島田一の介

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浅香あき恵

帯谷孝史

しゃーやん

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島田珠代

佐藤武志

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秋田久美子

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