制服_(ナチス親衛隊)
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SS黒服の制帽

本稿では国家社会主義ドイツ労働者党(ナチ党)の準軍事組織である親衛隊(以下SS)の制服について記述する。
概要

ミリタリールックの中でもナチス政権下のドイツの軍服は世界的に人気が高く、中でもSSの制服はその筆頭といわれる[1]

SS隊員ははじめ突撃隊(以下SA)と同じ褐色シャツ型制服を着用していたが、1932年にSSの制服として有名な黒いスーツが制服として採用された。1938年には黒服と同型の野戦灰色(フェルトグラウ)の制服が導入された。

一方SS特務部隊武装SS)では陸軍の野戦服と類似した野戦服が使用された。武装SSの戦車装甲車搭乗員(以下戦車兵)も陸軍の戦車兵に類似した黒い制服を着用していた。ただし陸軍の物とは若干形状が異なる。武装SSはほぼ全部隊に迷彩服を支給していたため、迷彩服の先駆者とされている。

SSで使用された制帽は共通してトーテンコップ(髑髏)が帽章として使用されていた。
勤務服
黒服前の褐色シャツ制服SSの黒服(左)と黒服前の褐色シャツ制服(右)

ナチスの最初の準軍事組織であるSAは褐色で統一されたシャツ型の上着[注釈 1]ネクタイ(党員はネクタイに党員章)、ズボンケピ帽を制服として使用していた。

SSは1925年4月に結成されたが、1932年までSAと同型で色だけ異なる制服を使用していた。シャツ型上着はSAと同じく褐色だったが、ケピ帽の色が黒く、ネクタイも黒く、ズボンも黒い物を用いた。またハーケンクロイツ腕章の上下に黒のストライプを入れることでSAと差別化を図った。色以外でSAの制服と違っていたのは、ケピ帽にトーテンコップ(髑髏)の徽章を入れていることがある[3][2]

1926年11月にSAがその制服に階級と所属部隊を明らかにするための襟章を導入[4][2]。これに倣ってSSも1929年8月に襟章を導入した。SAは所属する管区・部隊等を示す為、襟章に様々な配色を設けていたが、SSの襟章は銀と黒で統一されていた。SSでは所属部隊は左腕の袖のカフタイトル(袖章)で示した[2]。SAと同様に襟周りや襟章の縁にパイピングを用いており、このパイピングは黒服以降の制服にも受け継がれたが、1940年には廃止された(しかし襟周りのパイピングは廃止後も使用されることも多かったという)[注釈 2]

ただし褐色シャツ制服は特に支給されておらず、各隊員が自前で揃えるものであった[6]

黒服制定以降にはこの褐色シャツの制服は「伝統の制服(Traditionsanzug)」と呼ばれるようになり、ナチ党の式典などで着用されるようになった。ただ褐色シャツは基本的にSAの制服であり、この服を式典で着たがるのは野党時代の闘争を懐かしむ古参SS隊員だけであったという。親衛隊全国指導者ハインリヒ・ヒムラーもこの服を好まず、式典には黒服で出席していた[7]

警察官(左)とともにパトロールするベルリンのSS隊員(右)。ナチ政権初期の1933年3月5日。褐色シャツ型制服を着てケピ帽を被っている。

SS隊員(左列)とSA隊員(右列)。SS隊員たちの帽子はすでにケピ帽ではなく制帽になっている(1933年、ハンブルクでのマルガ・フォン・エッツドルフの棺の警護)

褐色シャツ型制服。帽子は制帽(1933年ユダヤ人の性科学者マグヌス・ヒルシュフェルトの研究所の本を焚書のために集めるSS隊員)

黒服SSの黒服。下は白シャツ。

1932年7月7日に制服が大きく改訂され、SSの制服として有名な黒色勤務服(SS-Dienstrock Schwarz)が定められた[8][9][注釈 3]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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