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国際花と緑の博覧会の編集について

記事自体は簡潔に纏められていて今のままでよいと思います。ただ、編集要約についてなのですが、編集にて消された内容はご自身が張られた出典内にて指摘されてる内容を記述した物で、中立的観点とかなら分りますが、根拠がないから消したでは少々乱暴で語弊を生む表現ではないかと感じましたので、お返事させてもらいました。--219.119.111.1 2011年9月17日 (土) 22:14 (UTC)[返信]こんにちは。おっしゃっているのはコンパニオン接待うんぬんの事と思いますが、確かにこれは出典にありますので、正しくは「記す必要が感じられなかったので」などと書くべきでした。念のために申しますと、「統一教会」と言い切れるかというと、もちろん個人的には100%確かと思いますが、ウィキペディア的には「無理な推論」です。とはいえ、現在の記事からでも、主催団体が何なのかは理解できるでしょう。--Ahora 2011年9月20日 (火) 02:26 (UTC)[返信]
いくつかの疑問について

いくつかの項目の編集について疑問のある編集をみつけましたので、本来なら個々の記事のノートで議論すべきなのかもしれませんが、いずれもAhora氏の編集なのでここでまとめて質問させていただきます。--219.115.141.134 2011年12月24日 (土) 17:20 (UTC)[返信]

写本において「版本なども含めて「写本」の語が使われる事もある。」という記述を書き加えられましたが、「写本」とは「版本」ではない手で書き写した書物を指す語であり、「写本と関連して版本のことが語られる」ことはしばしばありますが、「版本なども含めて「写本」の語が使われ」た事例は私は見たことがありません。そのような事例が存在するのでしょうか。この二つは全く異なることを意味します。

源氏物語の写本において「印刷本の底本への採用」なる節を新設され、「印刷本の底本として採用されるものは、明治から昭和の早い段階では、首書源氏物語が多かった。」との記述を書き加えられましたが、この時期には

武笠三『源氏物語』全4冊、有朋堂文庫、有朋堂書店、1912年から1926年(大正15年)

島津久基『源氏物語』全5冊、岩波文庫、岩波書店、1927年(昭和2年)から1931年(昭和6年)(いわゆる旧岩波文庫本)

といったものが首書源氏物語を底本としていたのに対して、湖月抄を定本としたものとして、

佐々醒雪等『新釈源氏物語』新潮社、1911年(明治44年)から1914年(大正3年)

有川武『訂正増注源氏物語湖月抄』上中下三巻、弘文社、1937年(昭和12年)のち講談社学術文庫『湖月抄』に新注以後の注釈を加えたもの。

金子元臣『定本源氏物語新解』(明治書院、上1926年(大正15年)・中1928年(昭和3年)・下1930年(昭和5年)『湖月抄』を底本として金子本で改訂したもの。

吉澤義則『対校源氏物語新釈』全6冊、平凡社、1937年(昭和12年)から1940年(昭和15年)、1952年(昭和27年)復刊、1972年(昭和47年)国書刊行会より復刊『湖月抄』を底本として尾州家河内本で校訂したもの。

といったものがあり、私の知る範囲で「明治から昭和の早い段階では、首書源氏物語が多かった。」という事実はありません。これはどのような出典にもとずく記述なのでしょうか。

古注の項目において「儒教の文献や日本の古典作品において」という記述を加えておられますが、どのような理由による付記なのでしょうか。古注や古注釈とは広義には古い注釈全般を指す用語であり、その対象は儒教の文献や日本の古典作品には限られません。史書に対する注釈や仏典に対する注釈にも古注や古注釈と呼ばれるものがあります。

紫の上の項目において、紫の上の年齢が若菜巻10歳年下となり、若紫巻の記述によると8歳年下となるとする記述について、「数え年のため、大きな矛盾ではない。」とされていますが、これはどのような出典にもとずく記述なのでしょうか。お待たせしました。ウィキペディアに時間を割いて下さり、ありがとうございます。写本はおっしゃる通りです。ひとまず取り下げます。言いたい事とずれてしまっていましたので、また後で編集致します。底本への採用については、首書源氏物語のページを参考にしました。改めて読むと、私の編集には誤りがあり、首書の記事に無い事を少し書いています。それは私の責ですが、御指摘によれば、そもそも首書の記事に少し問題があり、改善が必要なようです。(方向としては、首書の方が湖月抄より勝るとした議論があった事と、底本への採用とを、分けて記述すれば良いでしょうか。)宜しければ湖月抄の記事と合わせて、横断的な形で改善を図って下さりますでしょうか。余裕がなければ、私の方で各記事のノートから、ここにリンクしておきます。(ウィキペディアの記事はしばしば誤っている事は、当然承知しています。私の意図は「ページをまたいでの整理」とでもいうべきものです。つまり他人が書いた記事を、ページ内で文章、構成の整理をしたようなもので、「詳細は各記事を参照」との附記もあり、さほど悪いとは思いません。むしろ首書の記事の問題点を明らかにする結果にもなったようです。もちろん自慢するようなものではないですが。)ここで愚痴をこぼすのも何ですが、(自戒も込めて言えば)御専門の方は、個々の記事は編集、改善して下さっても、百科事典として求められる入門的、俯瞰的な事はしばしば物足りないことがあるように思います。ところで、「有川武」は「有川武彦」でしょうか。講談社学術文庫の編者は後者です。古注の編集ですが、分野についての記述が無いので、書こうと思いました。多分西洋の文献は含まれないだろうと思ったのがそもそものきっかけですが(Wikipedia:日本中心にならないように)、「何々は含まない」と言い切れる方はなかなか居ないだろうと思います。各人が分かる範囲内で、「古注」に含まれる分野を書き足せば良いだろうと思います。(つまり列挙です。)その方向で発展しやすいように、(少し)書き直しておきますので、よろしければ加筆をお願い致します。紫の上に関しては、現在普通のテキストをそのまま鑑賞すれば、大きな矛盾ではないことは事実としか言いようが無いと思います。(たとえば、「はっきり矛盾と断定できるものではない。」と変更する事には反対しません。)おっしゃりたい事が良く分かりかね、推測に過ぎませんが、もし紫の上の年齢に関して、源氏物語の研究からは大きな論点であるとしたら、それは別の事です。その点について執筆頂けるのならば、大変ありがたいです。(たとえば、実は構想段階から(!)矛盾があって、新年立が優位でもないとか、あるいは源氏物語成立の過程と関わってくる、などすれば、それは重要でしょう。)厳密には、私が書いた、数え年の「ため」という部分は少しおかしいです。数え年である事はぼやかす方向には働くものの、たとえ旧年立であっても、テキストそのものからは、やはり矛盾と断定はできません。数え年である事は指摘しておくべきと思いので、「数え年でもあり」の方が良いかもしれません。--Ahora 2012年1月3日 (火) 06:36 (UTC)[返信]
リダイレクト削除審議のお知らせ 2012年4月

リダイレクト削除依頼からのお知らせです。Ahoraさんが作成したリダイレクト(または作成後にリダイレクト化されたページ)に対して削除依頼が提出されております。つきましては、審議への参加をお願いいたします。対象リダイレクトの審議場所:Wikipedia:リダイレクトの削除依頼/2012年4月#RFD中の島公園 (曖昧さ回避)


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