私の編集しました内容につきましてご意見ありがとうございます。反捕鯨派からの鯨研に対する批判について、私たちには見解に相違があると解釈できました。このまま編集合戦に発展させたいつもりはこちらとしてはありませんので、まずは下記につきましてご回答をお願いします。1. 広報について
「広報活動の内容に科学的に疑問視される内容を公に流布している件」とありましたが、ご指摘の部分はいわゆる「鯨食害論」のことかと思います。確かに「鯨は人間の消費量の数倍の魚を食べる」と公言されたことはありますが、それを鯨研が「広報活動」として用いたことはあるのでしょうか。例えば、調査捕鯨を行う根拠として「鯨食害論」を唱え、「調査捕鯨=間引き」などとしているのであれば、そのような批判には正当性があるかとは思いますが、こちらではそのような事実は確認できません。
2. 天下りについて
私の方でもWikipediaにおける「天下り」の記事を参照しながら編集しました。ただ単に「官僚が関連法人に再就職すること」が一般的に「天下り」といわれることがある、この点については同意します。しかし、「天下り=批判されるべき」という解釈には果たして中立性があるのでしょうか。天下りの問題点については上記の記事中に書かれているので省略しますが、記事を読む限り「天下り」については「批判されるべき場合と批判すべきではない場合がある」というのが本当の中立的な考え方ではないかと私は解釈しています。
「鯨研に元水産庁官僚が再就職している=天下り」とすること自体は一般論としては可能でしょうが、その「天下り」という言葉が批判的な意味合いをもって使用されている点について、私は「これは中立的ではない」と判断し、政府の解釈を持ちだしました。私が編集する前は単に「天下りである」としか書かれてませんでしたので、このままでは「批判されるべき方の天下り」と解釈される恐れがあります。まずは私たちの「天下り」の解釈について見解を明確にしておく必要があると思いますので、葛餅さんの見解をお聞かせください。
3. 商業捕鯨について
ノルウェーの商業捕鯨や他国の生存捕鯨と対比されていましたが、日本の調査捕鯨はそれらとは種が違う、つまり母集団が違いますので、単なる捕獲頭数の比較によって批判するというのは中立性どころか論理的に間違っています。「そういった批判がある」という事実を書いただけであるのならいいのですが、商業捕鯨と批判するのであれば、「捕獲数/個体数」という割合で比較しなければ、論理的におかしいのは明らかです。葛餅さんがこういった「分母を無視した分子同士の比較」に中立性があると解釈しているのであれば問題がありますので、見解をお聞かせください。--Zoju518
2010年2月6日 (土) 11:51 (UTC)