ビザンツ・アラブ戦争
イスラームの征服中
ギリシアの火がはじめて実戦で使用されたのはビザンツ・アラブ戦争のときのビザンツ海軍である
時634?1180
場所レヴァント、シリア、エジプト、北アフリカ、アナトリア、クレタ、シチリア、南イタリア
結果アラブが全体的に領土を拡げ、ビザンツも再興した
領土の
変化レヴァント、 メソポタミア、北アフリカがアラブ帝国に組み込まれた
衝突した勢力
ビザンツ帝国[1]
ブルガリア帝国
十字軍国家
ガッサーン朝
Template:Campaignbox Byzantine-Arab WarsSham region was just the start of Arab expansion. Expansion under Muhammad, 622-632 Expansion during the Rashidun Caliphate, 632-661 Expansion during the Umayyad Caliphate, 661-750
ビザンツ・アラブ戦争(Byzantine-Arab Wars )とは、7世紀から12世紀にかけておこなわれたビザンツ帝国とアラブのムスリム王朝でおこなわれた戦争のことである。正統カリフおよびウマイヤ朝の時代にとられた拡張路線のもとではじめてのジハードが起こり、戦いが繰り広げられた。その後十字軍の遠征がはじまるまで、この戦争は長期化し、膠着状態が続くのであった。一連の戦争によって、アラブ人たちが支配する領土は飛躍的にひろがった。
最初の衝突は634年に起こり、718年に二度目のコンスタンティノープルの包囲がおこなわれるまで戦いが続いた。この包囲によってアラブ帝国のアナトリアへの攻勢はいったん停止することになるが、9世紀ごろから1169年にかけて再び衝突が続く。アッバース朝は9世紀および10世紀に南イタリアとシチリアを占領した。しかしマケドニア朝のもとビザンツ帝国がレヴァントを奪い返す。その先進的な軍装はアラブ人の有するエルサレムから南をおびやかし、アレッポおよびその周辺はビザンツの従属国となったが、その西方のエジプトではファーティマ朝が王国を築きビザンツにとって脅威となっていた。しかし新たに興ったセルジューク朝がビザンツの獲得した土地を奪いとり、さらにはアッバース朝をアナトリア深くへと追いやった。この結果をうけてアレクシオス1世はローマ教皇ウルバヌス2世をたよりピアツェンツァ教会会議でなんとか軍事的な支援を引きだそうとした。一連の出来事はしばしば第一次十字軍の先駆とも評される。
目次
1 背景
2 戦いの幕開け
2.1 シリアの征服 : 634-638
2.2 北アフリカの征服: 639-698
2.3 エジプトとキレナイカの征服
2.3.1 北アフリカの二度目の征服
2.4 アナトリア侵攻とコンスタンティノープル包囲
3 その後の衝突
3.1 前線の固定化とイコノクラスムの過激化
3.2 小アジア、クレタ、シチリア
3.3 よみがえるビザンチン
4 終結
5 影響
6 正史と通史
7 関連項目
8 脚注
8.1 注釈
8.2 出典
9 参考文献
9.1 主要参考文献
9.2 参考文献