グバナン共和国大統領閣下と申します。アフリカの某国から発信しています。日々国政に多忙ではございますがアフリカについての現状や正しい歴史を日本の皆様に知っていただきたく登録いたしました。趣味の切手についても記述しようと思います。また医学や自然科学に関する記事にも少し関わろうと思います。よろしくお願いいたします。
気楽に「大統領閣下」と呼んでください。
自己紹介最も信頼を寄せる友人シンゾー・アベ盟友ウラジミール・プーチン、ムアンマル・アル=カッザーフィー
職業: グバナン共和国大統領・元首、内務・外務大臣兼務、グバナン共和国最高国家評議会議長、統合参謀本部議長、軍医総監
称号:建国の父(The Father of country)、陸軍元帥、グバナン科学アカデミー名誉総裁、日本・グナバン友好連盟名誉総裁、グバナン赤新月社名誉総裁、
学歴:エコール・ボリテクニーク、サソ・シール陸軍士官学校(フランス)、バリ第5大学(医学部)
学位:博士(法学;グバナン国立大学。医学;バリ第5大学)、名誉博士(創価値大学)
宗教:イスラム教[2]
家族:妻8名[3]、子45名 (その他婚外子多数)
前職:軍人(陸軍中佐)
尊敬する人物:明治天皇、ナポレオン・ボナパルト
影響を受けた人物:イディ・アミン・ウガンダ大統領、ジャン=ベデル・ボカサ・中央アフリカ共和国大統領、モブツ・セセ・セコ・ザイール大統領
スポーツ:サッカー、柔道[4]
趣味:読書、切手収集、ハーモニカ演奏
飼育しているペット:ライオン50匹、ナイルワニ150匹、アフリカゾウ20頭、ゴリラ8頭、ハムスター3匹。
好きな食べ物:カツカレー、プッチンプリン
目標:国民から愛される大統領になること。
モットー: 国民の生活が第一、大統領はその次
履歴
1951年:仏領西アフリカ・グバナンに有力族長の12子として誕生(母親は第3夫人)。
1965年:フランス留学、エコール・ボリテクニーク、サソ・シール陸軍士官学校、バリ第5大学卒
1978年:グバナン独立闘争に加わり、グバナン共和国独立後、陸軍大尉に任官。
1983年:青年将校によるクーデターを指揮し、グバナン共和国最高国家評議会議長に就任
1988年:グバナン共和国大統領に就任
1990年:全権掌握、同国終身大統領に就任、
1988-92年:西アフリカ諸国経済共同体議長
1994年:隣国スータン内戦和平交渉を仲介し国際的評価を受ける。
1999年:アフリカ開発会議出席のために国賓として来日[5]。
今日に至る。
賞罰
賞
1990年:グバナン共和国最高栄誉勲章
1992年:レジアンドヌール勲章(旧宗主国フランスとの国交樹立時)
1998年:マハトマ・ガンディー世界平和大賞受賞(聖ガンディー記念国際財団)
1999年:日本国政府より大勲位旭日小章受章
2004年:『News Weeh』誌に「2004年、世界で最も危険な独裁者ベスト10」に選出され、予定されていたノーベル平和賞が取り消される。
2005年:中華人民元共和国より「孫子平和賞」受賞。
罰
1974年独立戦争時、フランス大審裁判所より政治犯として死刑判決を受けるが、シャルル・ド・ゴーム大統領による大統領特別令により禁錮30年に減刑、のち釈放。
大勲位菊花大綬章
幻のノーベル平和賞メダル
ギロチン台
(グナバン国立博物館 所蔵)[6]
以上、未確認の情報も一部含む。
ペットの紹介
菊千代
マコちゃん
ゴン太くん
住居
大統領官邸
乗り物
大統領専用機
ライベートジェット[7]
ヨット
公用車
日系企業からの誕生日プレゼント
脚注^ The politician who I have a great regard for.
^ イスラム教徒ではあるが来日に際しては必ず、明治神宮と靖国神社に参拝している。
^ 第6夫人のアキコは日本人のジャーナリストで、明治神宮で結婚式を挙げている。
^ 講道館名誉6段
^ 非公式には複数回来日している。
^ ドゴーム大統領の恩赦令状が刑場に届いたのは刑の執行予定時間のわずか5分前であった。このときのギロチン台は現在グナバン国立博物館に展示されている。
^ 主に妻たちがロンドンに買い物に行く際に使用
ウィキへの貢献
ジョン・スタンレー・グリフィス
ノルマンディー米軍英霊墓地
ハーシェル・ペッパース
リフレクティング・プール
グバナン共和国
マイケル・ローゼンブルーム