利子
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マラウイ銀行店頭での、預金口座と融資の金利を示した表示

利子(りし、: interest)とは、貸借した金銭に対して一定利率で支払われる対価。

利息と同じ意味で使われるが、借りた場合に支払うものを利子、貸した場合に受け取るものを利息と使い分けることがある。また、銀行預金では利息と呼ぶ(ゆうちょ銀行では利子と呼ぶ)。法律用語としては利息を用いるのが通常である。

米の貸し借りの対価として支払われる「利子米(利米)」のように利子は金銭以外で支払われる場合もある。このような実物を対価とする利子を実物利子、金銭を対価とする利子を貨幣利子あるいは金利と呼ぶ[1]
概説
経済学上の定義

経済学的な定義では『将来時点における資金の、現在時点における相対的な価格』をいう。

もっとも、実際の金融取引における利子の本質については、上記の定義のように単に金銭の時間的な価値のみで説明するのではなく、それに加えて金融機関の提供するサービスの対価、債権の貸倒れに対する保証料ないしは保険料などが複雑に合成されたものと見ることもできる。ただ、サービスの対価も保険料も、時間が経過し「将来」となっていくことと密接であるため、金利と時間の関係は不可分である。

金利の高低は経済の景気動向を左右することがある。政府や中央銀行政策金利を変更することによって基準金利を決定できる場合が多い。経済学的には、貨幣市場における価格に相当する。金融市場では、貨幣需要と貨幣供給が一致するように利子率が調整される[2]。所得が増加すると貨幣需要が増加するが、貨幣供給量が一定である場合、利子率が上昇する[3]。一方で所得が減少すると、貨幣需要は減少し利子率は低下する[3]

金利には、名目金利実質金利が存在する。名目金利は、額面にかかる金利である。実質金利は名目金利から期待インフレ率を差し引いた分である。通常、名目金利は0%より下がらない[注釈 1]のに対し、実質金利はマイナス金利をとることがあり得る。

ファイナンス理論においては、金利は、通常は、貨幣の時間的価値と信用リスクの対価としての性質を有するものと考えられる。理論的には、無リスク資産に付される金利は貨幣の時間的価値のみを反映したものである。
法学上の定義

法学上の定義では、流動資本たる金銭その他の代替物の使用の対価として、元本額と使用期間に比例して、一定利率をもって支払われる金銭その他の代替物を指す[5]

通常は消費貸借あるいは寄託に伴って約定されるが、売買代金の支払などについて約定されることもある[6][7]

時間に比例するという点で遅延損害金が「遅延利息」と称されることがあるが、それは利息ではなく履行遅滞による損害賠償である[6][7]

元本債権の存在しない終身定期金(民法第689条)、固定資本たる不代替物(土地建物機械)の使用の対価である地代賃料、元本そのものの使用の対価である元本の償却金・分割払いの分割金・株式配当は利息ではない[7]
基本概念

利子は金額を指す。利率(りりつ)または利子率(りしりつ)は元本(債券の額面)に対するある一定期間(通常は1年間)の利子の割合を指す。利回り(りまわり)は、投資金額に対する最終的な受取利息から年平均の利率を計算したものである。たとえば100万円を年利(=1年間の利率)5%で複利で5年間貸し出したときの利息は127万6282円となるので、利回りは約5.52%となる。

金利は金額と割合のどちらも指す。金額は「増」「減」で表し、割合は「高」「低」で表す。だから、利子が増えるとは言っても、利率が増えるとは言わない。同じく、利率が低いとは言っても、利子が低いとは言わない。
利息の形態と計算
単利と複利

利子の形態には大きく分けて単利と複利の2つの方法がある。

単利は、元本を変化させずに計算して利子を決める。

複利は、元本に利子を加えた金額を元に計算して次回の利子を決める。

元本をa、単位期間当たりの利率をpとすると、n回の単位期間を経て利子がついたときの元利合計は、単利の場合 a ( 1 + n p ) {\displaystyle a(1+np)} となるのに対し複利の場合 a ( 1 + p ) n {\displaystyle a(1+p)^{n}} となる。
実質年率、アドオン金利

借入金を複数回で返済するときの金利を考える場合、毎回の返済ごとに借入残高が減少するように扱う方法と計算上で借入残高を減少しないと扱う(仮定する)方法がある。前者を実質年率、後者をアドオン金利という。

以下に計算例を示す。

3万円を毎月1回ずつ3回で返済することにする場合。なお、毎回返済する元金は1万円ずつとする。

実質年率12%(=月利1%)の場合の利息
返済1回目、借入残高3万円×1%=300円、返済額10300円返済2回目、借入残高2万円×1%=200円、返済額10200円返済3回目、借入残高1万円×1%=100円、返済額10100円(完済)利息の合計600円

アドオン金利12%(=月利1%)の場合の利息
返済1回目、計算上の借入残高3万円×1%=300円、返済額10300円返済2回目、計算上の借入残高3万円×1%=300円、返済額10300円返済3回目、計算上の借入残高3万円×1%=300円、返済額10300円(完済)利息の合計900円

金利の表記が同じであっても、アドオン金利の方が利息が高くなることがわかる。

(参考)元利均等払い返済が定期複数回であるとき、毎回の返済額を定額にしたい場合、元本返済分と利息返済分の比率を都度変える方法。住宅ローンの返済に多く用いられる。

上記同様年利12%(=月利1%)の場合のシミュレーション(円未満四捨五入)
返済1回目、期間発生利息;借入残高30000円×1%=300円、返済額10201円(元本充当;10201円 - 300円 = 9901円); 元本残高30000円 - 9901円 = 20099円返済2回目、期間発生利息;借入残高20099円×1%=201円、返済額10201円(元本充当;10201円 - 201円 = 10000円); 元本残高20099円 - 10000円 = 10099円返済3回目、期間発生利息;借入残高10099円×1%=101円、返済額10200円(元本充当;10200円 - 101円 = 10099円) (完済)利息の合計602円一般に最終返済時、又は第1回返済時に端数調整が入り、定時返済額と異なる。
金利の表示方法
年利
元金に対する1年間の利息の割合。この割合を12で除算(割る)とほぼ月利と同じ数値になる。単位は%である。
月利
元金に対する1か月の利息の割合。この割合を28から31のいずれかの数値で除算(割る)とほぼ日歩と同じ数値になる。単位は%である。月利(%) = 年利(%)/12 
日歩(ひぶ)
元金100円に対する1日あたりの利息で金利を表したもの。単位は、
(1/100円)、(1/10銭)、(1/10厘)である。日歩(銭)=年利(%)×100/365
計算式と日数の計算方法

最も単純な計算式は以下のとおりである。後述の「両端入れ」「片落ち」「両落ち」の数え方もあるため、借り入れた企業へ確認してから計算しないと、利息の金額が異なる結果が必然的に出てしまう。

借金残高 × 年利 ÷ 返済期間(1年間だったら12) = 1か月の利息

(借金残高が下がれば、1か月の利息も下がる)

借金残高 × 年利 ÷ 365日 × 借りた日数 = 借りた日数だけかかる利息

(借りた日数が増えれば、利息も上がる)

短期借入時の日割計算の際、3通りの数え方がある。
両端入れ(りょうはいれ)
借入日と返済日の両方を日数として数える方法。
片落ち(かたおち)
借入日から返済日のうち、借入日を計算からはずして数える方法。
両落ち(りょうおち)
借入日から返済日のうち、借入日と返済日の両方を計算からはずして数える方法。

例えば、1月1日から同年の1月15日までの日数計算をそれぞれの方法で行うと、以下の表のようになる。

短期借入時の日割計算計算方法日数
両端入れ15日間
片落ち14日間
両落ち13日間

民法の原則では、特約がなければ、初日不算入(本件で言う片落ち)となる。
利息の歴史

利子の歴史は貨幣の出現に先んじるとされる(貨幣はないため実物利子であった)[1]

@media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}預金に対する金利の利率が低ければ預金保有者の生活に影響が出るとして、一定以上に保つことが要求される側面がある一方で、金銭を借りる側の立場からすると、金利は低ければ低いほど良いと考えることができる。しかしヨーロッパでは、現代のような利子、それも複利の利子による経済が堂々と大規模に行われるようになったのは近世・近代のことである。現代のヨーロッパ主導の世界経済体制の中で、利子つき金融、それも複利計算のものが圧倒的主流を占めている、という現状からすると奇異なことのように思われるかもしれないが、利子の禁止は世界史の流れの中では取り立てて特異なことではない。宗教的な側面からの利子の禁止規定は、「利息は労働なくして得る所得=『不労所得』」であるという考えが背景にある(インフレーションデフォルト (金融)すなわち債務不履行のリスクがあり、事業・担保の評価を行わないと事業として継続していくことが不可能である金融業の立場からすると、利子を不労所得、すなわち働かないで得られる利益であるとすることはできない)。[要出典]

ヨーロッパでは、中世を通じてカトリック教会によってキリスト教徒間の利子つき貸借は原則禁止されていたものの、貨幣経済が広く浸透した13世紀頃より徴利禁止の規定は次第に空文と化し、実態としては利子取得は一般的に行われるようになった。さらに16世紀には宗教改革の指導者の一人であるジャン・カルヴァンが5%の利子取得を認め、イギリスでは1545年ヘンリー8世が10%以内の利子取得を認める法令を発布した。これを皮切りとしてプロテスタント諸国では利子取得が是認されるようになった。17世紀の学者クラウディウス・サルマシウス(英語版)は正当な利子を擁護する論文を書いた。産業革命による経済の活発化をみた19世紀前半には、カトリック教会も利子を容認するようになった。シルビオ・ゲゼルは金利が社会にもたらすさまざまな悪影響について考察し、自由貨幣と呼ばれる減価する貨幣の導入で金利を廃止しようとした。

「利子」は「単利」の場合のみ認めるが、「複利」(利子の額を元本に組み込んで計算する)の利子つき金融を認めない例もある(ローマ法以来、多くの立法例で複利計算は禁止されていた。日本民法においても、利息の元本繰り入れは、契約によることを要し、その旨の約定がなければ単利計算となる)。複利計算に関しては、復古主義としてではなく、近年の脱資本主義的思想・運動からの疑義もある。マルグリット・ケネディはこのようなたとえを用いて複利計算の矛盾を問うている。ヨゼフが息子キリストの誕生のとき(西暦1年紀元前4年かは不詳)に、5%の利子で1プフェニヒ(100分の1マルク)を銀行に預けたとする。彼が1990年に現れたとすると、地球と同じ重さの黄金の玉を、銀行から13億4000万個引き出すことができることになる。

利子そのものを禁じていない文化でも、高利に対する規制は厳しいことが多かった(例えば江戸幕府の開府当初は年率20%が上限。元文1年(1736年)には15%に引き下げられる)が、それに対する金融業者(高利貸)は、名目上は「利子」ではない「手数料」(これはイスラーム圏でヒヤルと呼ばれるものに似ている)ということにして、取り立てていた。天保13年(1842年)の法令では法定利率が年率12%に引き下げられ、礼金・筆墨料などの名目で利子を余分に取ることなどが禁じられたが、「禁じられた」ということは、少なくともそれまで江戸の金融業者たちは、法定利率以上に徴収して利益を得ていたということが分かる。
日本.mw-parser-output .ambox{border:1px solid #a2a9b1;border-left:10px solid #36c;background-color:#fbfbfb;box-sizing:border-box}.mw-parser-output .ambox+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+link+style+.ambox,.mw-parser-output .ambox+link+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+style+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+link+.ambox{margin-top:-1px}html body.mediawiki .mw-parser-output .ambox.mbox-small-left{margin:4px 1em 4px 0;overflow:hidden;width:238px;border-collapse:collapse;font-size:88%;line-height:1.25em}.mw-parser-output .ambox-speedy{border-left:10px solid #b32424;background-color:#fee7e6}.mw-parser-output .ambox-delete{border-left:10px solid #b32424}.mw-parser-output .ambox-content{border-left:10px solid #f28500}.mw-parser-output .ambox-style{border-left:10px solid #fc3}.mw-parser-output .ambox-move{border-left:10px solid #9932cc}.mw-parser-output .ambox-protection{border-left:10px solid #a2a9b1}.mw-parser-output .ambox .mbox-text{border:none;padding:0.25em 0.5em;width:100%;font-size:90%}.mw-parser-output .ambox .mbox-image{border:none;padding:2px 0 2px 0.5em;text-align:center}.mw-parser-output .ambox .mbox-imageright{border:none;padding:2px 0.5em 2px 0;text-align:center}.mw-parser-output .ambox .mbox-empty-cell{border:none;padding:0;width:1px}.mw-parser-output .ambox .mbox-image-div{width:52px}html.client-js body.skin-minerva .mw-parser-output .mbox-text-span{margin-left:23px!important}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .ambox{margin:0 10%}}

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律令体制の下では、国家による金融として出挙が行われた。当時、という税として納められた米は、神への捧げものとして保管され、百姓が困窮した際に貸し与えられた。そして、収穫後には神への返礼として、借りた分よりも多い米を、神に返さなければならないとされた。そのため、日本では古い時代から利子を取ることはタブー視されなかった。

中世日本では、国家に代って、日吉神社熊野三山などの寺社勢力などが金融を営み、米や銭の貸し付けを行った。本来金融は、古代の出挙以来、神仏へ捧げられたものを貸し付ける行為とされた。その為、中世初期には、俗人は金融に関わることができず、神仏に直属する者が行っていた。しかし、中世における貨幣経済の発展に伴い、金融は寺社勢力のみならず俗人も担うようになり、借上土倉という金融業者が現れた。

単に借金の棒引きとイコールで捉えられることの多い、日本史で登場する「徳政令」であるが、基本的には「利息がついている契約」のみが対象であった。借金の返せない民が増え、徳政令の出番となるのは、多くの場合「元本を返済する能力があったとしても利子(鎌倉時代当時の言葉で「利平(りひょう)」と言った)が膨らんでしまう」ためであった。鎌倉時代末期には政治の行き詰まりが起こり、蒙古襲来による戦いにおいて土地も得られなかったために「御恩と奉公」を幕府の方針としたものの、土地が得られないことから借金が増大した。借金が増大したため徳政令を発布するが、結局土地の問題の解決に至らず幕府に対する反感が強まった。後の鎌倉幕府崩壊への道にもつながっていく。
ヨーロッパ

古代ギリシアの海上交易においても利子を伴う貸付は広く行われていたが、当時から利子は問題視されていた[8]アリストテレスはその著書『政治学』の中で、「貨幣が貨幣を生むことは自然に反している」(『政治学』1巻10章)と述べている。

古代ヘブライ人は徴利を禁じ、ヘブライ聖書に遺されたその掟は、同じく旧約聖書を聖典とするキリスト教徒にも影響を与えた。例えば旧約聖書には「あなたのところにいる貧しい者に金を貸すなら(中略)利息を取ってはならない」 (出エジプト記22:25)、「金銭の利息であれ、食物の利息であれ、すべて利息をつけて貸すことのできるものの利息を、あなたの同胞から取ってはならない」(申命記23:19)、「あなたの兄弟(中略)から利子も利息も取ってはならない」(レビ記25:35-37)と記されており、詩篇15は、利子を取らずに貸す者を「主の幕屋に宿るべき人」と称えている。

また、新約聖書の「あなたがたは、敵を愛し、人によくしてやり、また何も当てにしないで貸してやれ」(ルカ6:34-35)、すなわち利得を期待せずに無償で貸すべきであるという教えは中世キリスト教において重んじられた[9]。キリスト教の初期の宗教会議、例えば325年のニカイア公会議では聖職者による徴利が禁じられ、中世前期にはクリシー公会議(626年)やカール大帝の「一般訓令」(789年)によってこの禁止は一般信徒にも適用された[10]。徴利禁止は12世紀以来の教会法に組み込まれた。13世紀にはこの禁を犯した者は破門に処すべきとされた[11]。「高利貸は神の所有物である時間を売っているのであって、他人の財産を売りさばく盗みに等しい行為だ」といった理屈は当時の人々の常套句であった[12]

トマス・アクィナスはアリストテレスにならって「金は金を生まず」と述べ、金銭消費貸借において、貨幣本来の用途から逸脱して金銭そのものから代価を得ることは不正であるとみなした。一部の修道院はさまざまな形態の貸付を行い、中でも譲渡抵当、すなわち土地を担保としてそこから得られる収益を地代として貸付者に支払うという仕組みの貸借が多かったが、12世紀末には譲渡抵当を禁じる教令が発布された[13]


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