利光貞三
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出典は列挙するだけでなく、脚注などを用いてどの記述の情報源であるかを明記してください。記事の信頼性向上にご協力をお願いいたします。(2014年3月)
アンギラスの頭部を作る利光貞三

利光 貞三(としみつ ていぞう[1][2]、(1909年明治42年〉[2][注釈 1]10月15日 - 1982年昭和57年〉[出典 1])は、東宝所属の造形家[4]、特撮美術スタッフ、彫刻家[4]大分県出身[3][4]

ゴジラをはじめとする特撮怪獣のぬいぐるみを多数手がけた[出典 2]
概歴

高校卒業後、大阪の美術学校に入学[3][4][注釈 2]。この美術学校を卒業後、東京へ移る。

1942年(昭和17年)、東宝映画『ハワイ・マレー沖海戦』(山本嘉次郎監督)のミニチュア製作に参加[出典 3]

1945年(昭和20年)、日本敗戦。戦後、川尻泰司の人形製作に参加[3][2]田中友幸や、木村武司らとともに、「大阪協同劇団」で演劇活動を行う[2][6]

1948年(昭和23年)、東宝を辞めた円谷が自宅内に「円谷特殊技術研究所」を設立。これに参加[6]

1954年(昭和29年)、『ゴジラ』製作のため、円谷に招かれ、東宝に入社[出典 3]。ゴジラの粘土原型から始め、日本初の映画怪獣ゴジラのぬいぐるみ制作を行う[4]。以後、特撮映画怪獣専門の造形チーフを担当する[6]

1971年(昭和46年)、東宝特殊技術課の廃止に伴い東宝を退社[6]。フリーとなり、以後テレビ作品などに参加。

1982年(昭和57年)、死去[4][2]
人物・エピソードゴジラの粘土原型を作る利光貞三

1954年(昭和29年)の『ゴジラ』では、当時小田急の狛江に住んでいたが、電車の中で円谷に偶然会い、それから一カ月後に「すぐ来てほしい」との電報を受け、『ゴジラ』制作に参加することとなったという[2]。円谷とは、戦時中の『ハワイ・マレー沖海戦』で組んだ仲だった。翌日から撮影所に缶詰めになり、「ゴジラ」の2尺粘土原型の制作を行った。この作業は秘密裏に行われ、5、6人の関係者にしか知らされなかったという[注釈 3]

東宝特美課ではおもに怪獣の頭部造形を担当していた。そのほとんどは、「1)細部の凹凸まで再現した細目の金網で、または2)粘土原型を石膏型で抜いたラテックスで、怪獣の頭の「芯」を作り、3)これらの「芯」にラテックスを浸み込ませた綿やウレタン片などを盛り付けていく」という、「直付け(じかづけ)」と呼ばれる手法で作られた。村瀬継蔵によれば、利光は造型にこだわるため完成に1ヶ月以上かかることもあり、胴体が完成していても頭部がない状態のことも多かったという[5][8]


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