利光 丈平(としみつ じょうへい、1871年(明治4年)8月2日[1] - 1934年(昭和9年)12月24日[2])は、日本の実業家。京王電気軌道社長[1]。京成電気軌道常務取締役[3]。渡良瀬水電取締役[3]。 大分県大分郡稙田村(現大分市)出身。利光綾太郎の二男[1][3]。1893年、明治法律学校(現明治大学)卒業[4]。日本大学推薦校友である[5]。1899年、米国に航し、南加州大学に入り、国際公法を専攻した[1]。 1907年、帰国[1]。同年に兄・吉郎方より分かれて一家を創立した[3]。東京市役所に奉職し、勧業課主事を務めたが1910年、これを辞し京王電気会社の創立に尽瘁し、その社長に推された[1]。東京府在籍で[3]、住所は東京市四谷区坂町[1]、千葉県東葛飾郡市川町字真間[5]。
人物
家族・親族
利光家
妻・花(1890年 - ?、東京、若林英一の妹)[3][6]
男(1914年 - ?)[3]
三男[3]
女・紀美代(1912年 - ?)[3]
二女(1917年 - ?)[3]
親戚
若林英一(材木商、辰見屋)[6]
脚注^ a b c d e f g 『大分県人士録』
^ 京成電鉄(株)『京成電鉄五十五年史』(1967. 06)、渋沢社史データベース公式サイト。
^ a b c d e f g h i j 『人事興信録 第9版』