別府温泉
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「明礬温泉」はこの項目へ転送されています。明礬泉については「含アルミニウム泉」をご覧ください。

別府温泉
別府温泉街
(右手前は別府タワー、左後方は鶴見岳
温泉情報
交通アクセスの項を参照
泉質10種類:泉質の項を参照
湧出量毎分8万3058リットル[1]
外部リンク ⇒温泉ハイスタンダード
極楽地獄 別府

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竹瓦温泉駅前高等温泉観海寺温泉の大型リゾートホテル明礬温泉の湯の花小屋鉄輪むし湯鉄輪付近の源泉名勝 海地獄名勝 血の池地獄

別府温泉(べっぷおんせん)は、大分県別府市内各地に数百ある温泉の総称。広義には別府温泉郷[2][3]ともいい、特に古くから由来のある八つの温泉地は別府八湯(べっぷはっとう、1996年(平成8年)8月8日選定)と呼ばれている[3]。狭義には広義の別府温泉(別府八湯)を構成する温泉のうちの別府市中心部にある温泉街(歴史的には北浜温泉)をいう(「#別府温泉」参照)[3]温泉都市として知られる別府は、源泉数、湧出量ともに日本一[注釈 1]
概要

泉都とも呼ばれる別府市には、鶴見岳標高1375メートル)とその約4キロメートル北にある伽藍岳(別名「硫黄山」、標高1045メートル)という2つの火山の東側に多数の温泉が湧き出ている。また、奇観を呈する自然湧出の源泉を観光名所化した別府地獄めぐりなど観光スポットも充実しており、別府市には毎年800万人を超える観光客が訪れる[4]。豊かな温泉資源は観光や、市民生活だけでなく、古くは明礬の生産から、地熱発電、医療、花き栽培、養魚業、最近では温泉泥美容まで、様々な産業に幅広く利用されている。
別府八湯

別府市内には古くから由来の異なる温泉郷が8つあり、「別府八湯」と呼ばれているが、これは1996年(平成8年)8月8日8時8分8秒に地元の観光産業研究会が「別府八湯勝手に独立宣言」を提唱して定着したものである[3]。昭和初期の別府温泉郷は、主に湯治向けの鉄輪温泉と明礬温泉、保養的な観海寺温泉、歓楽街の色彩が強い浜脇温泉と北浜温泉(別府温泉)に大まかに分かれていた[3][注釈 2]

別府八湯では、毎年4月初めに別府八湯の豊かな温泉の恵みに感謝して別府八湯温泉まつりが開催されている。また、2001年平成13年)から開催されている別府八湯温泉泊覧会オンパク)や、別府八湯の選び抜かれた温泉施設から88湯に入浴し、温泉道名人の認定を目指す別府八湯温泉道という体験型イベントがある。
別府温泉

別府(べっぷ)温泉は、JR別府駅周辺に位置する温泉街である。歴史的には北浜温泉と呼ばれた[3]。駅に近く交通の便がよい。単純泉食塩泉重曹泉、重炭酸土類泉など多数の温泉が湧き、各泉質に応じて効能がある。地元住民を対象とした町内会経営の共同温泉も多く、観光客も利用できる。温泉街は別府八湯の中では最も歓楽的な要素が強く、夜になれば飲食店や別府タワーなど繁華街のネオンが煌く。

元寇の役の戦傷者が保養に来たという楠温泉など、古くから流川の川沿いにいくつもの温泉が湧き出し、江戸時代後期の温泉番付にも登場する。昔の別府の玄関口旧別府港(楠港)の開港とともに発展した温泉街で、旧港の近くには入母屋破風の外観を持つ市営温泉「竹瓦温泉」があり、温泉のほかに砂湯(温泉で温められた砂を体にかけてもらう)が楽しめる。竹瓦温泉と竹瓦小路木造アーケードは、「別府温泉関連遺産」として2009年(平成21年)2月6日に近代化産業遺産に認定されている。鎮守神である温泉神社は現在は八幡朝見神社に合祀されており、楠港の開港時に祀られた波止場神社は竹瓦温泉の北にある。
浜脇温泉

浜脇(はまわき)温泉は、朝見川河口一帯にある温泉街で、JR東別府駅(浜脇駅として開設された)の前の海沿いに位置する。市営温泉「浜脇温泉・湯都ピア浜脇」がある他は、小さな共同温泉が多い。

現在は名前の由来となった、砂浜に温泉が湧く様子は見られないが、鎌倉時代には八幡朝見神社門前町として栄え、大友氏が温泉奉行を置いて温泉を整備した。江戸時代後期の1817年文化14年)に書かれた温泉番付『諸国温泉功能鑑』では、西の前頭三枚目で別府温泉よりも上位にランキングされ、河口の船溜も湯治舟で賑わっていた。炭酸水素塩泉塩化物泉など。
観海寺温泉

観海寺(かんかいじ)温泉は、朝見川上流の山の斜面の古い街道沿いにある温泉街で、別府湾の見晴らしがよい。単純泉、含重曹食塩泉で神経痛リューマチに効能がある。大型リゾートホテル「杉乃井ホテル」と、室内温水プール「アクアビート」、ボウリング場、劇場や大展望露天風呂などのレジャー施設が並ぶ。1931年(昭和6年)10月28日には火災があり、温泉街がほぼ全焼した歴史がある[5]
堀田温泉

堀田(ほりた)温泉は、観海寺温泉のさらに奥、由布院温泉へ向かう九州横断道路やまなみハイウェイ)沿いにある源泉地帯で、江戸時代に開かれた静かな山の湯治場である。湯量が豊富で、別府市内の共同温泉などへの給湯もされている。大分県道52号別府庄内線沿いに市営温泉「堀田温泉」がある。泉質は、弱酸性低張性高温泉、硫黄泉である。
明礬温泉

明礬(みょうばん)温泉は、別府市街から少し離れた伽藍岳中腹の標高400メートルの所にある地熱地帯で、その名の通り江戸時代から明礬湯の花)や鉱泥が採取されてきた山の温泉街。第二次世界大戦中は、神経痛などに効能があるとされた鉱泥の生産のために、源泉の一つである紺屋地獄の一帯約2000坪が帝国軍人援護会により買収されたこともあった[6]。戦後は、急傾斜の地熱地帯に別府石の石垣が築かれ湯の花小屋が建ち並び湯けむりの立ち込める明礬温泉の景観が評価され、鉄輪温泉とともに「別府の湯けむり・温泉地景観」の名称で国の重要文化的景観として選定されている[7]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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