初雪_(吹雪型駆逐艦)
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艦歴
発注大正12年度艦艇補充計画
起工1927年4月12日
進水1928年9月29日
就役1929年3月30日
その後1943年7月17日戦没
除籍1943年10月15日
性能諸元
排水量基準:1,680t
公試:1,980t
全長118.5m
全幅10.36m
吃水3.19m
機関艦本式タービン2基2軸
艦本式ロ号専焼缶4基
50,000馬力
最大速38.0ノット
航続距離5,000/14ノット
兵員219人
兵装12.7cm50口径連装砲3基6門
7.7mm機関砲(機銃)2基2門
61cm魚雷発射管3基9門 他

初雪(はつゆき)は大日本帝国海軍駆逐艦[1]。特型(一等駆逐艦吹雪型)の3番艦[2]。雪級の3番艦[3]。「吹雪、白雪」沈没後は『初雪型駆逐艦』の1番艦(ネームシップ)である[4]。当初の艦名は、第37号駆逐艦[1]。この名を持つ帝国海軍の艦船としては神風型駆逐艦 (初代)初雪」に続いて2隻目。戦後、はつゆき型護衛艦はつゆき」としてその名は受け継がれた。
艦歴

1926年(大正15年)9月29日、「第三十七号駆逐艦」と命名[5]。同日附で一等駆逐艦に類別される[6]。「第37号駆逐艦」は1927年(昭和2年)4月12日に舞鶴工作部で起工[7]1928年(昭和3年)8月1日附で、「第37号駆逐艦」は「初雪」と改名される[1]。同年9月29日に進水、1929年(昭和4年)3月30日に竣工[7]呉鎮守府所属。第二艦隊第二水雷戦隊・第11駆逐隊に編入。吹雪型初期姉妹艦(吹雪白雪、初雪、深雪)と共に第11駆逐隊を編制していた。1931年(昭和6年)、「吹雪」は第11駆逐隊から除籍され、あらたに「吹雪、東雲磯波」の3隻で第20駆逐隊を編制することになった。さらに「深雪」は昭和9年の事故(駆逐艦と衝突)によって喪失、第11駆逐隊は3隻編制となった[8]

1935年(昭和10年)9月26日、三陸沖で演習中に台風により艦首を切断(第四艦隊事件)。当時、第四水雷戦隊旗艦「那珂」は第11駆逐隊(初雪、白雪)、第12駆逐隊(白雲、薄雲、叢雲)、第7駆逐隊(潮、曙、朧)、第8駆逐隊(天霧、夕霧)を率いて演習をおこなっていた[9]。9月25日、「初雪」で溺者1名が発生、「那珂」は『此ノ際油断大敵ナル事ヲ銘記セヨ』と各艦に注意している[10]。9月26日夕刻、荒天により駆逐艦「夕霧」が艦首切断(行方不明27名)、その救援中に「初雪」も艦首切断により行方不明24名を出した。夜が明けたのち「夕霧」は軽巡「大井」に、「初雪」は重巡「羽黒」に曳航され大湊へむかった[11]

1936年(昭和11年)年末の編制変更により第20駆逐隊は除籍され、「吹雪」は第11駆逐隊、「東雲」は第12駆逐隊、「磯波」は第19駆逐隊にそれぞれ復帰した[12]日中戦争に際しては1937年(昭和12年)以降、上海上陸、杭州湾上陸、北部仏印進駐作戦などに参加した。1939年(昭和14年)11月、有賀幸作中佐が第11駆逐隊司令に着任。第11駆逐隊は空母2隻(蒼龍飛龍)と共に第二航空戦隊を編制(司令官戸塚道太郎少将)[13]。1940年(昭和15年)8月下旬以降、「飛龍、初雪、白雪」は北部仏印進駐に投入された[14]。その年の異動により第11駆逐隊は第三水雷戦隊に所属することになった。

1941年(昭和16年)9月12日に内示された昭和17年度海軍戦時編制によれば、第11駆逐隊(吹雪、白雪、初雪)は最新鋭の翔鶴型航空母艦翔鶴瑞鶴)と第一航空戦隊を編制予定だった[15]。しかし太平洋戦争の勃発により、「初雪」以下第11駆逐隊が同大戦で空母機動部隊に配属される事はなかった。
太平洋戦争緒戦

太平洋戦争における第11駆逐隊(初雪、白雪、吹雪)は、ひきつづき第三水雷戦隊(司令官橋本信太郎少将:旗艦「川内」:第11駆逐隊、第12駆逐隊、第19駆逐隊、第20駆逐隊)に所属、三水戦はさらに小沢治三郎中将(旗艦「鳥海)指揮下の馬来部隊(南遣艦隊)に編入されていた。南方侵攻作戦、エンドウ沖海戦蘭印作戦バタビア沖海戦に参加する。1月27日エンドウ沖海戦では三水戦旗艦「川内」の指揮下、第20駆逐隊(朝霧夕霧天霧)、第11駆逐隊(初雪、白雪、吹雪)、第一掃海隊(掃海艇1号)に編制され、イギリス海軍駆逐艦「サネット」を撃沈した[16]。戦闘後、「初雪」が乗員を救助し捕虜の英海軍少尉と会話がしたとの証言がある[17]が、第三水雷戦隊戦闘詳報によれば同海戦の連合軍捕虜は士官(中尉)1名、下士官5名、兵25名の計31名で、捕虜の救助と尋問は「白雪」で行ったとある[18]

3月10日、吹雪型「東雲」を喪失して「白雲、叢雲」の2隻編制になっていた第12駆逐隊が廃止される[19]。「白雲」は第20駆逐隊に編入[19]。「叢雲」は第11駆逐隊に編入され、開戦時以来吹雪型3隻体制だった第11駆逐隊は4隻となった[19]。その後も第11駆逐隊は第三水雷戦隊所属隊としてベンガル湾機動作戦ミッドウェー海戦(戦艦《大和長門陸奥扶桑山城伊勢日向》、空母「鳳翔」以下主隊護衛)、インド洋方面通商破壊作戦、ソロモン・ニューギニア作戦などに参加。
ガダルカナル島の戦い

インド洋通商破壊作戦(B作戦、指揮官西村祥治第七戦隊司令官)は米軍のガダルカナル島およびフロリダ諸島上陸にともなうガダルカナル島の戦い勃発(8月7日以降)により中止され、第七戦隊、第三水雷戦隊、第四水雷戦隊各艦はソロモン諸島方面へ移動した[20]。第三水雷戦隊の到着をもって第二水雷戦隊司令官田中頼三少将(重巡「衣笠」座乗)は外南洋部隊増援部隊指揮官を更迭され、増援部隊指揮官は三水戦司令官橋本信太郎少将(旗艦「川内」)となる[21]

8月31日-9月1日、第24駆逐隊(江風海風涼風)、第11駆逐隊(初雪、白雪、吹雪)は川口支隊1200名をガダルカナル島へ揚陸した[22][23]。9月4日0330、「夕立、初雪、叢雲」隊、「浦波敷波有明」隊はショートランド泊地を出撃、同日0854には「川内、涼風、江風、海風」がショートランド泊地を出撃、それぞれガダルカナル島へ輸送作戦を実施した[24][25]。夕立駆逐艦長吉川潔中佐指揮のもと「夕立、初雪、叢雲」はルンガ泊地に突入し、駆逐艦(高速輸送艦)「グレゴリー」と「リトル」を撃沈した[24][26]。戦果報告を受けた宇垣纏連合艦隊参謀長は、陣中日誌『戦藻録』で夕立隊の行動を絶賛している[25]。両艦を撃沈した後、ガタルカナル島へ泳いで逃げようとする乗組員を銃撃して殺傷し[27]、帰路についた。この銃撃事件ではグレゴリーは11名の死者を出したもののほとんどの乗員が救助され[28]。、米太平洋艦隊司令長官はグレゴリーとリトルの勇敢さを讃えるコメントを出した。

9月7日、第24駆逐隊(涼風、江風、海風)と第11駆逐隊(初雪、叢雲)はそれぞれガ島への輸送を実施[29][30]。9月16日、戦闘詳報(戦史叢書)では駆逐艦「初風、夕立、浜風」がガ島ルンガ泊地に突入したと記録されているが[31][32]、第16駆逐隊(雪風、時津風、初風、天津風)は機動部隊所属で、外南洋部隊には編入されていない。

10月1日、第11駆逐隊(初雪、白雪、吹雪、叢雲)は陸軍青葉支隊司令部をガ島へ輸送したが、米軍機の空襲を回避中に「初雪」は舵故障を起こす[33]。このため司令駆逐艦を「白雪」に変更、「初雪」は単艦でショートランド泊地へ戻った[34]。「白雪、吹雪、叢雲」による輸送作戦は成功した[33]。10月4日の輸送(時雨、白雪、吹雪、叢雲、綾波)において、第八艦隊戦闘詳報では「白雪」のかわりに「初雪」が参加した事になっている[35][36]。実際の「初雪」は駆逐艦「綾波」と交替する形で挺身輸送隊(大発動艇小発動艇によるショートランド諸島からニュージョージア諸島経由のガ島輸送作戦)に編入された[37][38]。本輸送方式は蟻輸送と呼称されている[38]。「初雪」はニュージョージア島周辺を航海し、蟻輸送の拠点となりそうな基地(地形)の調査をおこなった[39]。また駆逐艦「天霧」と共に大発動艇の曳航や物資輸送に従事した[40][41]。詳細は「サボ島沖海戦」を参照

ガダルカナル島の戦いにおける日本軍苦戦の大きな要因が、米軍に奪取されたヘンダーソン飛行場だった。


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