初期の世界地図
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クラウディオス・プトレマイオスの世界像に基づく世界地図。クリストファー・コロンブスのアメリカ航海の10年前のもの。

初期の世界地図(しょきのせかいちず)では、人類によって作成された地図の中でも、最初期の物から世界地理の大勢が判明する17世紀頃までの世界地図について解説する。
概要

地図は現代では実在する都市や地形などを図に表したものであるが、初期の世界地図は必ずしもそうではなかった。昔の人々にとって世界は広く、遠方の地理情報を地図に盛り込むことは難しかった。そのため、人々は不確かな伝聞情報を書き込んだり、あるいは自身の世界観を反映させて世界地図を作成した。

どの方位を上にしているかは重要な特徴である。古代ローマ時代までは北が上であった。中世の世界地図は、ヨーロッパでは東が上、イスラームでは南が上、中国では北が上であった。どの方位を上にするかにも意味が込められていることが多い。

ヨーロッパやイスラームの地図で注目すべき地理はインドインド洋カスピ海ブリテン島などである。これらは多くの地図に登場するのでその作成意図を比較しやすい。インドの存在はヨーロッパでも古くから知られていたが、旧大陸の南東端と考えられており、ほとんどの地図ではインド半島の先端からアラビア半島までの海岸線を、ほぼまっすぐな形で描いている。また、インド洋を内海とする考えや、カスピ海を外海とする考えも根強く、多くの世界地図で誤って作成されている。なお、古い世界地図を読む上では「どこまで合っているか」だけでなく「どこが誤っており、その理由は何か」ということも非常に重要である[1]

また、初期の世界地図は、必ずしも時代と共に正確になっていかなかった。特にヨーロッパでは、2世紀に作られたプトレマイオスの地図の成果は長らく忘れられ、大航海時代を迎えるまではキリスト教的世界観に基づいた極めて不正確な地図が使われていた。

日本においては、南波松太郎、秋岡武次郎池長孟が集めた初期の世界地図などが、神戸市立博物館に収集されており、多数 三好唯義の「世界古地図コレクション」に記載されている。[2]
古代
バビロニアの世界地図(紀元前7世紀)バビロニアの世界地図。紀元前600年頃のもの。詳細は「en:Babylonian Map of the World」を参照

知られている最も古い世界地図は、紀元前600年頃のバビロニアの世界地図(Imago Mundi)である[3]。この地図は北が上として描かれており、その説明文が付いている。二重の円が描かれており、内円の内側が陸地、外円と内円の間が海(後の古代ギリシアで言うオーケアノス)、外円の外側が対岸の陸地である。ただし「対岸の陸地」は想像上のものであり、その説明も空想的内容になっている。内円の上半分に描かれた横長の長方形がバビロンである。中央付近で南北に描かれた2本の線は、左がユーフラテス川、右がチグリス川と考えられている。ただし実際のバビロンにはチグリス川は流れていないので、この平行線はユーフラテス川の両岸であるとする考えもある。チグリス川の上流は山となっており、チグリス川下流の三日月模様はペルシア湾、内円下部の細長い長方形は湿地帯、内円の内側に書かれたたくさんの小円は他の有力都市を表している[4][5]。つまり、この地図は世界地図を意図したものではあるが、現実世界と一致しているのはバビロンと周辺都市、周辺地理のみである。
アナクシマンドロスとヘカタイオス(紀元前6世紀)アナクシマンドロスの世界地図の再現

ギリシアの地理学者ミレトスのヘカタイオス(紀元前476年頃死去)は、ギリシャの自然哲学者アナクシマンドロス(紀元前546年頃に死去)の地図を元にして、世界地図を描いた[4]。ただし、当時のままの地図は伝わっておらず、現存するのは当時の資料の断片からの再現図である。この地図によれば、世界の東端はインドであり、インダス河の存在も描かれている。地中海の描写はかなり正確である。一方で、周囲を海が囲っている点などは従来の世界地図と同じである[4]
ヘロドトス(紀元前5世紀)ヘロドトスの世界地図の再現

ギリシアの歴史家ヘロドトス(紀元前485年頃-前420年頃)の時代になると、空想を入れる習慣が少なくなった。一番の特徴は、世界を取り囲む円海であるオーケアノスの存在を否定したことである。ヘロドトスはエジプト、ペルシア、スキタイなどを訪れており、カスピ海が内海であることなどが正確に書かれている。一方でヨーロッパに関しては、イステル川(ドナウ川)の流れですら不正確である[4]
エラトステネス図(紀元前3世紀)1883年に再現されたエラトステネスの地図[6]

地球の大きさを測ったことで知られるエラトステネス(紀元前276年-前194年)は、地球が球形であることを前提に地図を作っており、地図作成に測量を利用した。エラトステネスの地図そのものは伝わっていないが、ストラボン(紀元前63年頃-紀元23年頃)が著作に一部を引用しているため、およその様子が分かっている。

エラトステネスの時代には、アレクサンドロス3世(在位紀元前336年-前323年)の遠征記録が伝わっていたため、インド付近までの地理が詳しくなっている。ただし東南アジアの描写はない[7]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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