初春型駆逐艦
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初春型駆逐艦
公試中の「子日」(1933年8月23日、館山沖)[1]
基本情報
種別一等駆逐艦[2]
運用者 大日本帝国海軍
同型艦6隻(#同型艦を参照)[2]
前級吹雪型駆逐艦
次級白露型駆逐艦
要目 (計画)
基準排水量1,400英トン[3]
公試排水量1,680トン[3]
満載排水量1683.2トン[3]
全長109.50m[3]
水線長105.50m[3]
垂線間長103.50m[3]
最大幅10.00m[3](バルジを除く)
水線幅10.00m[3]
深さ6.00m[3]
吃水公試平均 3.03m[3]
満載平均 3.245m[3]
ボイラーロ号艦本式缶(空気余熱器付[4]) 3基[5]
主機艦本式タービン(高低圧[4]) 2基[5]
推進器2軸 x 400rpm[5]
出力42,000馬力[3]
速力36.5ノット[3]
航続距離4,000カイリ / 14ノット[3]
燃料重油:458トン[3][注釈 1]
乗員計画乗員 205名[6]
初春竣工時定員 215名[7]
兵装50口径三年式12.7センチ砲 連装2基4門、同単装1基1門[9]
40mm単装機銃 2挺(竣工時)
(61cm)九〇式3連装魚雷発射管2型 3基9門[10]
計画 八年式魚雷18本[11]
竣工時推定 九〇式魚雷12本[10][11]
九四式爆雷投射機1基、三型装填台1基[10]
爆雷投下台 水圧三型2基、手動一型4基[10]
九一式一型爆雷 36個[10]
搭載艇7.5m内火艇2隻、7mカッター2隻、6m通船1隻(母港保管)[8]
その他二号二型大掃海具1.5[10]
一型改一小掃海具2または1[10]
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初春型駆逐艦(はつはるがたくちくかん)は大日本帝国海軍(以下「海軍」)の一等駆逐艦[2] の艦級である。吹雪型(特型)駆逐艦の次の艦隊型駆逐艦として計画されたが、小排水量に過大な武装を盛り込んだ本型は復元性能や船体強度に問題を生じ、建造は6隻で中止された[12]

なお、建造途中で設計変更を行って竣工した有明夕暮は、有明型駆逐艦(ありあけがたくちくかん)に類別されていた時期があった。
概要

1930年(昭和5年)のロンドン海軍軍縮会議の結果、補助艦の保有量も制限され(駆逐艦で英米10対日本7)、駆逐艦には「1,500トンを超える艦は、合計排水量の16パーセント以内」と言う項目があった[13]。このため、当時主力として建造していた特型のさらなる建造が不可能になった[12]。また、大型駆逐艦の建艦競争が起きることを恐れ、それ以上の建造を差し控えたという状況でもあった[12]。そこで海軍では、特型(1,680トン)より約300トン小さい1,400トンの船体に特型に匹敵する性能を持った艦を計画する[13]。元の艦より小さな船体に同等の性能は無茶とも言えるが[13]藤本喜久雄造船大佐(当時)は、先の特型同様の手法を用いることによりその要求を満たした。基本計画番号F45[3]。なお排水量が条約の制限(1,500トン)より更に100トン少ないのは保有隻数の増加と建造費削減を意図したと思われる[12]

昭和6年度(1931年)からの第一次海軍軍備補充計画(通称@計画)で駆逐艦は1,400トン型(本型)を計画、当初18隻建造の要望だったが12隻の予算が承認された[14]。1,2番艦(初春・子日)竣工の時点で後述する問題により建造を計6隻で打ち切り、残りの6隻は設計を改め白露型(基本計画番号F45D[3])として建造されることになった[12]
艦型竣工直後の子日(左)と初春[15]
船体

排水量を抑えるために船体には徹底的な軽量化が行われ、浮いた重量を兵装に振り向けた[16]。また電気溶接を多用したのも同様の理由になる[16]。船型は速力の要求を満たすために長さが長くなり、その上GM(重心Gとメタ・センターMとの距離[17])を考慮して幅が広くなり、必然的に吃水が浅くなった[16]。当時の復元性に関してはGMのみを重視し、レンジなどは深く検討されなかった結果、重心が高くて風圧側面積比が大きいいわゆる「トップヘビー」の艦になってしまった[16]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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