列車電話
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この項目では、旅客用に設置されている列車内の公衆電話について説明しています。

駅構内に設置されている公衆電話については「日本の公衆電話」をご覧ください。

業務用の鉄道電話については「鉄道電話」をご覧ください。

列車電話(れっしゃでんわ)とは、旅客列車に設置されている公衆電話を指す。
概要.mw-parser-output .thumbinner{display:flex;flex-direction:column}.mw-parser-output .trow{display:flex;flex-direction:row;clear:left;flex-wrap:wrap;width:100%;box-sizing:border-box}.mw-parser-output .tsingle{margin:1px;float:left}.mw-parser-output .theader{clear:both;font-weight:bold;text-align:center;align-self:center;background-color:transparent;width:100%}.mw-parser-output .thumbcaption{background-color:transparent}.mw-parser-output .text-align-left{text-align:left}.mw-parser-output .text-align-right{text-align:right}.mw-parser-output .text-align-center{text-align:center}@media all and (max-width:720px){.mw-parser-output .thumbinner{width:100%!important;box-sizing:border-box;max-width:none!important;align-items:center}.mw-parser-output .trow{justify-content:center}.mw-parser-output .tsingle{float:none!important;max-width:100%!important;box-sizing:border-box;align-items:center}.mw-parser-output .trow>.thumbcaption{text-align:center}}阪急6300系(2010年)西武レッドアロー(2011年)

地上と車上の通信には、現在は新幹線で使用されている漏洩同軸ケーブル(LCX)からの漏洩電波を介して通信を行うLCX方式(詳細は後述)のみ用いられている。かつては一般列車で使用されていた、400MHz帯のUHF無線通信を用いて交換手を介する空間波無線方式、または800MHz帯の移動体電波を用いて基地局交換装置を介する空間波無線方式なども存在した。

日本初の列車電話は、1957年昭和32年)10月1日近畿日本鉄道特急用車両(2250系6421系)に設置したものである。上本町駅(現:大阪上本町駅)伊勢中川駅間に通信設備を整備し、大阪市内・名古屋市内との通話が実現した。当時の利用状況は1列車平均6度[1]。その後10000系10100系にも取り付けられたが、10400系からは取り付けを行っていない。その後1975年(昭和50年)3月に車内電話のサービスを一旦廃止した[2]が、1988年(昭和63年)に落成した21000系に車内電話を設置してサービスを再開した。なお21000系以降の列車電話では列車から日本国内全域に通話することが可能となった。しかし、これも2012年(平成24年)3月31日のmovaサービス終了に伴い、終了までに再度車内電話のサービスを廃止した。

日本国有鉄道では、1960年(昭和35年)8月に東海道本線151系電車を使用した特急「こだま」・「つばめ」で採用された、グレーの電話機が始まりである。この時は、電電公社(現:NTTグループ)が400MHz帯のUHF無線通信を用いて東海道沿線14箇所に基地局を設置し、それを介して一般回線へ繋いだ。100円硬貨専用であり、また電話機にはダイヤルはなく、口頭で交換手に電話番号を直接伝えた上で相手先に繋いでもらう方式であった[注 1]。列車から電話をかけるほか、固定電話から交換手を通じて列車へ電話をかけることも可能であった。ただ無線を使用していたので山間部やトンネルなど電波状況の悪い区間が存在したほか、電話を掛けられる地域は、沿線である東京圏・名古屋圏・大阪圏限定であった。当時の利用状況は1列車平均12度。東海道本線のものは1964年(昭和39年)10月、こだまと共に廃止された[1]

1965年(昭和40年)6月[3]、前年に開業したばかりの東海道新幹線にも、151系と同じ、100円硬貨専用でダイヤルのないものが設置された。151系と同様に、当初は東海道新幹線沿線の地域へのみ発信可能であった。20系寝台客車などにも設置が検討されたものの、当時は後の時代のように無線通信技術が発達しておらず、交換手と基地局の拡充を要したため断念された(後に20系の通信配線等は青函連絡船に転用される)。

その後、交換手を要しない新たな移動体電話システムとして開発された自動車電話システム(NTT大容量方式)の応用や、電話料金プリペイドカードテレホンカード」の登場により、テレホンカード専用とすることで列車電話の小型化が可能となり、新幹線以外でも1980年代後半から、徐々に列車電話の設置が増加していった。国鉄民営化以降に登場したJRの新型特急車両以外にも、国鉄時代に製造された既存の特急車両に対しても設置され、またJR以外でも私鉄の有料特急にも設置が進んだ。特急型車両以外でも、阪急6300系電車を皮切りに、京阪3000系電車(初代)京阪8000系電車JR東海311系電車住宅・都市整備公団9100形電車(一次車のみ)といった特別料金不要の通勤形車両近郊形車両にも設置された。

1991年平成3年)には第2世代移動通信システム(2G)のPDC方式が制定され、1993年(平成5年)にNTTドコモにより実用化された。800MHz帯のPDCを列車電話に用い、JRの在来線特急列車を中心に設置された[注 2](通信事業者はNTTドコモ)。その後、1990年代後半にかけて、携帯電話などの移動体通信の普及が列車電話にも及んだ。しかし2000年代以降は携帯電話の普及により、街頭の公衆電話と同様に利用者が減少したこともあり、徐々に列車電話が撤去され出した。


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