刈田郡
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宮城県刈田郡の範囲(1.蔵王町 2.七ヶ宿町)

刈田郡(かったぐん)は、宮城県陸奥国磐城国)の

人口11,856人、面積415.92km²、人口密度28.5人/km²。(2024年4月1日、推計人口

以下の2町を含む。

蔵王町(ざおうまち)

七ヶ宿町(しちかしゅくまち)

郡域

1878年明治11年)に行政区画として発足した当時の郡域は、上記2町に白石市を加えた区域にあたる。
歴史

養老5年(721年)10月に柴田郡のうち南部の苅田郷・篤借郷を割いて、苅田郡として独立させたことにより成立した。平安時代中期(10世紀前半)に成立した『和名類聚抄』によれば、篤借郷・苅田郷・坂田郷・三田郷の四郷が置かれていたとある。

鎌倉時代以降は奥州藤原氏の一族と称する白石氏(刈田氏)が刈田郡の中心勢力となる。白石氏は伊達政依の子・宗弘を養子に迎えるなど、早くから南隣の伊達氏との関係が深かったこともあり、刈田郡内には伊達氏の影響が強く及んでいた。戦国時代には伊達稙宗の勢力拡大に従って白石氏をはじめとする刈田郡内の諸勢力はその傘下に組み込まれ、以後は伊達氏の部将として活動するも、天正14年(1586年)に白石城主・白石宗実伊達政宗により安達郡宮森城に移され、白石氏は刈田郡を去ることになった。

天正18年(1590年)、政宗は豊臣秀吉に降伏。同年の奥州仕置で刈田郡は伊達領と確定され、引き続き領有を許されたものの、翌天正19年(1591年)には政宗による葛西大崎一揆煽動工作が露見したため伊達氏は岩出山城へ減転封され、刈田郡は長井信夫伊達田村・安達の各郡と共に会津の蒲生氏郷に与えられた。慶長3年(1598年)には蒲生氏に代わって会津に入封した上杉景勝の領地となったが、慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いに際して徳川家康から刈田郡を含む上記の旧領六郡の自力回復を許された政宗が、白石城をはじめとする刈田郡内の諸城を上杉氏から奪還し、刈田郡は仙台藩領となった。政宗は慶長7年(1602年)に重臣・片倉景綱を白石城主とし、藩境西南の固めを任せた。白石城は一国一城令の例外として扱われ、以後幕末に至るまで代々片倉氏が城主を務めた。江戸時代を通じて郡の過半は片倉氏の知行地であった。

明治元年(1868年)仙台藩が戊辰戦争に敗北すると、刈田郡は没収され、同年12月12日(西暦では翌1869年1月)に盛岡藩から移された南部利恭の領地となったが、半年後に南部氏は盛岡へと復帰した。
近代以降の沿革

幕末時点では陸奥国に所属し、全域が仙台藩領であった。「旧高旧領取調帳」に記載されている明治初年時点に存在した村は以下の通り。(33村)
白石本郷、蔵本村、森合村、長袋村、八宮村、郡山村、鷹巣村、坂谷村、中目村、斎川村、越河村、五賀村、平村、三沢村、犬卒都婆村、小奥村、内親村、小下倉村、深谷村、宮村、曲竹村、矢附村、塩沢村、円田村、平沢村、小原村、関村、滑津村、渡瀬村、湯原村、大町村、小村崎村、津田村

明治元年

9月24日1868年11月8日) - 仙台藩伊達慶邦が官軍に降伏。28万石に減封となる。

12月7日1869年1月19日) - 陸奥国が分割され、本郡は岩代国の所属となる。

12月24日(1869年2月5日) - 白石城転封された白石藩南部氏(旧盛岡藩主)の所領となる。


明治2年

8月7日(1869年9月12日) - 南部氏の盛岡復帰にともない、旧白石藩領を以て白石県を設置。

11月27日(1869年12月29日) - 白石県が角田県に改称。

12月8日1870年1月7日) - 伊具郡と共に磐城国の所属に変更される。


明治4年11月2日1871年12月13日) - 第1次府県統合により仙台県(第2次)の管轄となる。

明治5年

1月8日1872年2月16日) - 仙台県(第2次)が宮城県に改称。

4月9日(1872年6月10日) - 大区小区制の施行により、宮城県第17大区となる。

宮城県第17大区(全11小区。刈田郡のみ)
小区所属村
小1区白石本郷
小2区郡山村・大町村・鷹巣村・三沢村
小3区犬卒塔婆村・内親村・小奥村・津田村・小下倉村
小4区越河村・五賀村・平村
小5区斎川村・坂合村・中目村
小6区森合村・蔵本村・長袋村
小7区深谷村・八宮村
小8区宮村・曲竹村・矢附村
小9区円田村・小村崎村・塩沢村・平沢村
小10区小原村
小11区関村・渡瀬村・滑津村・湯原村


明治7年(1874年)4月 - 区の再編により、柴田郡と共に宮城県第9大区となる。

宮城県第9大区(全12小区。柴田郡・刈田郡7?12)
小区所属村
小7区大町村・鷹巣村・三沢村・犬卒塔婆村・内親村・小奥村・津田村・坂合村
小8区白石本郷・郡山村・小下倉村・蔵本村
小9区斎川村・中目村・森合村・越河村・五賀村・平村
小10区宮村・曲竹村・長袋村・深谷村・八宮村
小11区円田村・小村崎村・塩沢村・平沢村・矢附村
小12区小原村・関村・渡瀬村・滑津村・湯原村


明治9年(1876年

4月22日 - 磐前県に移管される。

8月21日 - 第2次府県統合により宮城県に復帰する。

11月 - 区の再編により、柴田郡・伊具郡亘理郡と共に宮城県第1大区となる。

宮城県第1大区(全9小区。刈田郡1?2・柴田郡・伊具郡・亘理郡)
小区所属村
小1区白石本郷・郡山村・大町村・鷹巣村・三沢村・犬卒塔婆村・斎川村・坂合村・中目村・森合村・越河村・五賀村・平村・小原村・関村・渡瀬村・滑津村・湯原村
小2区宮村・内親村・小奥村・津田村・小下倉村・蔵本村・長袋村・深谷村・八宮村・円田村・小村崎村・塩沢村・平沢村・曲竹村・矢附村


明治11年(1878年10月21日 - 郡区町村編制法の宮城県での施行により、行政区画としての刈田郡が発足。「柴田刈田郡役所」が柴田郡大河原村に設置され、同郡とともに管轄。同日大区小区制廃止。

町村制施行以後の沿革1.白石町 2.福岡村 3.宮村 4.円田村 5.白川村 6.大鷹沢村 7.大平村 8.斎川村 9.越河村 10.小原村 11.七ヶ宿村 (紫:白石市 水色:蔵王町 青:合併なし。21 - 35は伊具郡 41 - 46は亘理郡

明治22年(1889年4月1日 - 町村制の施行により、以下の町村が発足[1]。特記以外は現・白石市。(1町10村)

白石町 ← 白石本郷、郡山村、鷹巣村〔里前〕

福岡村 ← 蔵本村、長袋村、深谷村、八宮村

宮村(単独村制。現・蔵王町)

円田村 ← 円田村、小村崎村、塩沢村、平沢村、曲竹村、矢附村(現・蔵王町)

白川村 ← 津田村、犬卒都婆村、内親村、小奥村、小下倉村

大鷹沢村 ← 大町村、三沢村、鷹巣村[山内]

大平村 ← 坂谷村、中目村、森合村

斎川村(単独村制)


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