切込焼(きりごめやき)は、宮城県加美郡加美町の焼き物[1]。 切込焼は伊万里焼の技術を導入した焼き物だが、詳しい草創は未だ不明である[1]。紀年銘最古の資料となる「染付石榴文湯呑茶碗」は天保6年(1835年)の作である[1]。伊達藩に献上する御用品と日用品の雑瀬戸の2種類があった[1]。 型式組成やモチーフの違いなどから、純白の生地などが特徴の第I期(天保元年?天保11年頃)、瑠璃釉が出現した第II期(具体的な時期不明)、灰色がかった胎土などが特徴の第III期(万延元年?明治3年)に分けられる[1]。 切込焼は明治10年代に一度廃窯になった[1]。その後、1920年(大正9年)に地元の実業家、岩渕丈之助、沼田秀平らの手によって再興を試みるが、失敗。1990年に宮崎町が町興しの一環事業として、伝統的な切込焼の復興が行われるようになった[1]。
歴史
出典^ a b c d e f g “KOREMITE-東北学院大学博物館収蔵資料図録-Vol.1
外部リンク
⇒切込焼記念館(加美町ホームページ)
みやぎ伝統的工芸品/切込焼(宮城県ホームページ)
典拠管理データベース: 国立図書館
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