分離壁
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ベルリンの壁。1961年から1989年まで、ベルリンの街を東西に隔てていたが、1990年から1992年にかけて解体された。

分離壁(ぶんりへき)は、国境線の管理や、特定の人々・文化の隔離を目的に建設された、人間の通行を妨げるバリケードなどを指す[1]

ガーディアン』紙のデイヴィッド・ヘンリーによれば、分離壁の建設は世界の至る所でところで記録的な速さで進んでおり、もはや独裁政権パーリア国家の専売特許でもなくなってきている。2014年、『ワシントン・ポスト』紙は14の著名な分離壁を紹介したうえで、国境や地域境界を隔てている分離壁は全世界で45カ所存在するとしている[2]

現存する分離壁の例としては、ベルファスト平和の壁ホムスの分離壁、ヨルダン川西岸地区分離壁サンパウロの分離壁、南北キプロスグリーンラインギリシャトルコ国境、メキシコ・アメリカ国境などが挙げられる。またJulia Sonnevendは、2016年の著書Stories Without Borders: The Berlin Wall and the Making of a Global Iconic Eventの中で、シャルム・エル・シェイクの壁(エジプト)、リンバン国境(ブルネイ)、カザフスタンウズベキスタン国境壁、インドバングラデシュ国境フェンス、アメリカメキシコ国境分離壁、サウジアラビアイラク国境フェンス、ハンガリーセルビア国境フェンスを挙げている[3]

また過去に存在したが現存しない分離壁としては、ベルリンの壁マジノ線、エルサレム地区壁が有名である[4]
分離壁の増加傾向

デイヴィッド・ヘンリーは『ガーディアン』紙上で、分離壁が世界中で記録的な速度で増加しており、もはや独裁国家やパーリア国家の専売特許ではなくなっていると指摘している。2011年に世界の著名な分離壁を紹介した『ワシントン・ポスト』紙は2014年にも14か所の分離壁を取り上げ、現在世界にある国境分離やテロリズム防止のための分離壁は45カ所存在するとした[2]

アメリカ同時多発テロ事件(2001年)からイラク戦争シリア内戦などを経てアフガニスタンにおける2021年ターリバーン攻勢に至る20年間の動乱で中東ではテロリストや難民が激増。その自国流入を防ぐため、統治が比較的安定している各国は国境で相次ぎ壁を建設し、日本の『読売新聞』によると11カ国17カ所に及ぶ。トルコはイランとシリアそれぞれの国境に壁を着工・計画しているほか、内戦が続くリビアに対しては東隣りのエジプトと西隣のアルジェリアチュニジアが壁を建設し、アルジェリアとチュニジアおよび西隣のモロッコ国境にも壁がある[5]
著名な分離壁
中央ヨーロッパ詳細は「ロマの壁(英語版)」を参照

チェコルーマニアスロバキアの都市には、古くからロマとそれ以外の人々を分けるためのロマの壁がみられる[6]
ポーランド詳細は「ポーランドによるベラルーシ国境を隔てる分離壁(英語版)」を参照

2021年、ポーランド議会はアジアからの難民流入増加への懸念から、ベラルーシ国境に100km以上の壁を設置する法案を可決した[7]。また、2022年にはロシア飛び地であるカリーニングラード州から同様の流入が起こる可能性があるとして、新たにフェンスを構築することを発表している[8]
キプロスグリーンライン詳細は「グリーンライン (キプロス)」を参照

1974年にキプロスに侵攻したトルコは、キプロス島を南北に分割する300キロメートル (190 mi)もの分離壁を建設し、現在に至るまで維持している。このグリーンライン国連の定める緩衝地帯となっており、経済学者Rongxing Guoはこれを分離壁であると指摘している[9]
エジプト
エジプト・ガザ分離壁詳細は「エジプト・ガザ国境壁(英語版)」を参照

エジプト・ガザ国境の壁は、たびたびメディア上で分離障壁 (separation barrier)[10] あるいは分離壁 (separating wall) として取り上げられる[11][12][13]。2009年12月、エジプト政府はガザ地区との国境に鉄製の壁を築き始めた。エジプト外相によれば、この壁は「国家の安全に対する脅威」から身を守るためのものであるという[14]。壁の建設は度々の中断をはさみながら、完成に近づいている。
シャルム・エル・シェイクの壁

Julia Sonnevendによれば、エジプトのリゾート地シャルム・エル・シェイクをテロリスト阻止のために囲っている障壁は、事実上の分離壁である[3]。2019年に建設が始まり、高さ5メートル、総延長40キロメートルのコンクリート製である[15]
インド詳細は「管理ライン」を参照

インドパキスタンは、かつてのジャンムー・カシュミール藩王国の領域をめぐって争っている。ここには国際的に承認された国境がまだ決まっていないが、現在は軍事的な境界である管理ライン (LoC) が事実上の国境となっている。この線はもともと停戦ラインと呼ばれていたが、1972年7月3日に結ばれたシムラー協定によって再編され、管理ラインとなった。パキスタン側は、旧藩王国領内にギルギット・バルティスタンアザド・カシミール (AJK) を設置している。管理ラインの最北端は、NJ9842と呼ばれている。現在でも両国間での地域分離は続いており、数多くの村や家族が分断されたままである[16][17]

1972年以降、インドとパキスタンの停戦ラインには分離フェンスが設置されていた。2003年以降、インドがここに分離壁を建設し始めた[18]。2013年12月、インドがカシュミールのヒマラヤ地域にまで分離壁を建設する計画であることが明らかとなった[19]。目標とされる総延長は、179キロメートルに及ぶ。夜間に空撮されたインド・パキスタン国境

インドは他の国境にも、フェンスや壁を建設している。
イスラエルシオンの山付近の分離壁ベツレヘム付近の分離壁詳細は「ヨルダン川西岸地区の分離壁」を参照


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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