分身_(ドストエフスキーの小説)
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分身
Двойник
1866年改訂版の表紙
作者フョードル・ドストエフスキー
ロシア帝国
言語ロシア語
ジャンル中編小説
発表形態雑誌掲載
初出情報
初出『祖国雑記』1846年2月号
日本語訳
訳者米川正夫
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『分身』(ぶんしん、ロシア語: Двойник)(『二重人格』とも訳される)は、フョードル・ドストエフスキーの中編小説で、1846年『祖国雑記』第2号(2月号)に発表された。『貧しき人々』で文壇に華々しくデビューしたドストエフスキーの第二作目となる作品である。『貧しき人々』の発表からわずか一月後のことであった。発表前に兄ミハイルに宛てた手紙の中でドストエフスキーは、「『貧しき人々』よりも十倍も上の作品です。仲間の連中は『死せる魂』以後のロシアの国にはこれほどのものはひとつとして現れなかった、これはまさに天才的な作品だと言っています」(1846年2月1日付[1])とその自信を披瀝している。
概要.mw-parser-output .ambox{border:1px solid #a2a9b1;border-left:10px solid #36c;background-color:#fbfbfb;box-sizing:border-box}.mw-parser-output .ambox+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+link+style+.ambox,.mw-parser-output .ambox+link+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+style+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+link+.ambox{margin-top:-1px}html body.mediawiki .mw-parser-output .ambox.mbox-small-left{margin:4px 1em 4px 0;overflow:hidden;width:238px;border-collapse:collapse;font-size:88%;line-height:1.25em}.mw-parser-output .ambox-speedy{border-left:10px solid #b32424;background-color:#fee7e6}.mw-parser-output .ambox-delete{border-left:10px solid #b32424}.mw-parser-output .ambox-content{border-left:10px solid #f28500}.mw-parser-output .ambox-style{border-left:10px solid #fc3}.mw-parser-output .ambox-move{border-left:10px solid #9932cc}.mw-parser-output .ambox-protection{border-left:10px solid #a2a9b1}.mw-parser-output .ambox .mbox-text{border:none;padding:0.25em 0.5em;width:100%;font-size:90%}.mw-parser-output .ambox .mbox-image{border:none;padding:2px 0 2px 0.5em;text-align:center}.mw-parser-output .ambox .mbox-imageright{border:none;padding:2px 0.5em 2px 0;text-align:center}.mw-parser-output .ambox .mbox-empty-cell{border:none;padding:0;width:1px}.mw-parser-output .ambox .mbox-image-div{width:52px}html.client-js body.skin-minerva .mw-parser-output .mbox-text-span{margin-left:23px!important}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .ambox{margin:0 10%}}

この節には独自研究が含まれているおそれがあります。問題箇所を検証出典を追加して、記事の改善にご協力ください。議論はノートを参照してください。(2017年3月)

この作品は「ペテルブルク史詩」という副題がつけられ、1?13章で構成されている。『貧しき人々』に続く第二作目でもあり、周囲から大きな注目を集めたが、本人の期待に反してその評価は厳しいものであった。兄ミハイルに宛てた手紙の中でドストエフスキーは、「仲間も一般大衆も皆声を揃えて言うには、ゴリャートキンはあまりに退屈で生気がない、あまりに冗長であって、とても読めたものじゃないというのです」(1846年4月1日付[2])と記している。確かにこの作品の最大の欠点はいたずらに冗長であるという点にある。ドストエフスキーは読者の期待を裏切るまいと必要以上に力を入れ過ぎてしまったのであろう。また、ほのめかしやあてこすり等の曖昧な表現が多く全体として内容把握を難しくさせている。しかし、そうした欠点はあるもののこの作品には不思議な魅力もある。

この作品の主人公ヤーコフ・ペトロヴィッチ・ゴリャートキンは『貧しき人々』の主人公マカール・ジェーヴシキンと同じ九等文官の下級官吏である。ドストエフスキーは、『貧しき人々』では主人公が愛する女性に貢いだ挙げ句、借金を抱え結局その愛する女性にも去られて孤独と絶望に陥るという悲劇を描いたが、『分身』では、わずかばかりの野心をもった下級官吏が昇進も念願の結婚も果たせずに発狂するという悲劇を描いた。当時のロシアの社会では軍人・官吏は十四の等級に分けられ、九等官から十四等官までが下級官吏とされ、八等官から一等官までが上級官吏であった。しかし下級官吏ではあるものの九等官はまがりなりにも貴族に列せられた。ただし、この身分は一代限りのもので、領地などの世襲が認められる八等官とは大きな違いがあった。それゆえ、九等官という身分はきわめて微妙な立場であり、そこにロシア身分社会の歪みが凝縮されているともいえる。

ニコライ・ゴーゴリも『狂人日記』において、長官の娘に恋をして相手にもされず、あげく自分はスペイン国王であると狂信する九等官を描いている。ドストエフスキーがゴーゴリのこの作品から大きな影響を受けているのは明らかである。しかしゴーゴリは主人公の発狂の様子を描いてはいるが、なぜ発狂に至ったのかについてはあまり触れていない。ドストエフスキーがこの作品で描きたかったのは、まさにそこである。『貧しき人々』での文壇デビュー以来「ゴーゴリをはるかに抜いた」(前掲書1846年2月1日手紙)と周囲の仲間からも褒めそやされていた自負心も手伝って、ドストエフスキーは九等官の内面にまで踏み込んで発狂にいたる人間心理を究めてみようと考えたのであろう。

さて、主人公ゴリャートキン氏が、身分違いの五等官の娘との結婚を願望するようになったのは、もちろん九等官からはい上がりたいという野心からでもあるが、それは同時にまた九等官の職から転げ落ちるかもしれないという危機感からの一発逆転の賭でもあった。しかし残念ながらその望みはみごとに失敗に終わる。彼は大きな挫折感を味わい、絶望感に打ちひしがれ、結局は発狂してしまう。この発狂を「分身」との遭遇=自我の分裂としてドストエフスキーは描こうとした。従って、「分身」である新ゴリャートキン氏が登場する第5章以降はいわば発狂したゴリャートキン氏の内面の物語とみることができる。そこでは現実と妄想とがないまぜになっているが、ゴリャートキン氏にとっては描かれた世界こそが真実である。ドストエフスキーは読者には現実と妄想の境目をそれとなく示してくれるが、なかなか見分けがつけにくい。それが作品のわかりにくさにもなっている。

第5章以降、ゴリャートキン氏は妄想である「分身」=新ゴリャートキン氏と格闘を重ねていくが、さてこの「分身」をどのように理解したらいいのか。同時代の優れた批評家ドブロリューボフは、「いやしくもあらゆる狂気には原因があるはず」[3]、と述べて自分なりの分析を試みている。すなわち九等官ゴリャートキン氏は、仇敵たちがよからぬ陰謀をめぐらしているために自分の立場が脅かされていると感じ、もはや自分も陰謀家と手を組むほかはないと考え、とうとう新ゴリャートキン氏を妄想し、彼と結託しようとしたという。しかし他方でそうした新ゴリャートキン氏の狡猾さ、世渡りのうまさ、卑しさというものを旧ゴリャートキン氏の愚鈍で実直な性格と道徳的感情がどうしても許すことができないので、彼は心の中に葛藤を抱え込む。この葛藤がついには、「機転のきかぬゴリャートキン氏がなしえた限りでのもっとも暗い抗議?発狂」(前掲書)に至る、と。ドブロリューボフは、ゴリャートキン氏が恋敵の八等官昇進やクラーラの拒絶もそれがなるべくしてそうなったもので、「世の中のすべてのものはもっとも合理的な形で能力にしたがって配分されているし、能力は自然そのものによって与えられる」(前掲書)と考えていたら発狂には至らなかったであろう、と言う。しかし、わずかばかりの野心と脱落への危機意識がゴリャートキン氏にそれを許さなかった。

また優れたドストエフスキー研究者の一人高橋誠一郎は、「分身」の出現はあのクラーラ・オルスーフィイェヴナからの拒絶以前にすでに予告されているという。


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