分子動力学
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単純な系における分子動力学シミュレーションの例: 単一のCu原子のCu (001) 表面への堆積。それぞれの円は単一原子の位置を示す。現在のシミュレーションにおいて用いられる実際の原子的相互作用は図中の2次元剛体球の相互作用よりも複雑である。分子動力学法は生物物理学的系をシミュレーションするためにしばしば用いられる。ここで描かれているのは水の100 psシミュレーションである。

分子動力学法(ぶんしどうりきがくほう、: molecular dynamics、MD法)は、原子ならびに分子物理的な動きコンピューターシミュレーション手法である。原子および分子はある時間の間相互作用することが許され、これによって原子の動的発展の光景が得られる。最も一般的なMD法では、原子および分子のトラクジェクトリは、相互作用する粒子の系についての古典力学におけるニュートンの運動方程式数値的に解くことによって決定される。この系では粒子間のおよびポテンシャルエネルギー原子間ポテンシャル分子力学力場)によって定義される。MD法は元々は1950年代末に理論物理学分野で考え出されたが[1][2]、今日では主に化学物理学材料科学生体分子のモデリングに適用されている。系の静的、動的安定構造や、動的過程(ダイナミクス)を解析する手法。

分子の系は莫大な数の粒子から構成されるため、このような複雑系の性質を解析的に探ることは不可能である。MDシミュレーションは数値的手法を用いることによってこの問題を回避する。しかしながら、長いMDシミュレーションは数学的に悪条件であり、数値積分において累積誤差を生成してしまう。これはアルゴリズムとパラメータの適切な選択によって最小化することができるが、完全に取り除くことはできない。

エルゴード仮説に従う系では、単一の分子動力学シミュレーションの展開は系の巨視的熱力学的性質を決定するために使うことができる。エルゴード系の時間平均はミクロカノニカルアンサンブル(小正準集団)平均に対応する。MDは自然の力をアニメーションすることによって未来を予測する、原子スケールの分子の運動についての理解を可能にする「数による統計力学」や「ニュートン力学ラプラス的視点」とも称されている[3][4]

MDシミュレーションでは等温、定圧、等温・定圧、定エネルギー、定積、定ケミカルポテンシャル、グランドカノニカルといった様々なアンサンブル(統計集団)の計算が可能である。また、結合長や位置の固定など様々な拘束条件を付加することもできる。計算対象は、バルク表面界面クラスターなど多様な系を扱える。

MD法で扱える系の規模としては、最大で数億原子からなる系の計算例がある。通常の計算規模は数百から数万原子(分子、粒子)程度である。

通常、ポテンシャル関数は、原子-原子の二体ポテンシャルを組み合わせて表現し、これを計算中に変更しない。そのため化学反応のように、原子間結合の生成・開裂を表現するには、何らかの追加の工夫が必要となる。また、ポテンシャルは経験的・半経験的なパラメータから求められる。

こうしたポテンシャル面の精度の問題を回避するため、ポテンシャル面を電子状態の第一原理計算から求める手法もある。このような方法は、第一原理分子動力学法〔量子(ab initio)分子動力学法〕と呼ばれる。この方法では、ポテンシャル面がより正確なものになるが、扱える原子数は格段に減る(スーパーコンピュータを利用しても、最大で約千個程度)。

また第一原理分子動力学法の多くは、電子状態が常に基底状態であることを前提としているものが多く、電子励起状態や電子状態間の非断熱遷移を含む現象の記述は、こうした手法であってもなお困難である。
歴史

モンテカルロシミュレーションの先行する成功に続いて、1950年代末にアルダーとウェインライトによって[1]、1960年代にラーマンによって[2]それぞれ独立にMD法が開発された。1957年、アルダーおよびウェインライトは剛体球間の弾性衝突を完全にシミュレーションするためにIBM 704計算機を使用した[1]。1960年、ギブソンらはボルン=マイヤー型の反発相互作用と凝集面積力を用いることによって固体の放射線障害をシミュレーションした[5]。1964年、ラーマンはレナード=ジョーンズ・ポテンシャルを利用した液体アルゴンの画期的シミュレーションを発表した。自己拡散係数といった系の性質の計算は実験データと遜色がなかった[2]
年表

1957年:剛体球の分子動力学法(Alder and Wainwright←最初のMD)

1964年:質点系への拡張 (Rahman)

1971年:剛体系への拡張 (Rahman and Stillinger)

1977年:拘束系への拡張(Rychaert等)

1980年:定圧条件の導入(Andersenの方法、Parrinello-Rahman法)

1983年:非平衡系への拡張 (Gillan and Dixon)

1984年:定温条件の導入(能勢=フーバーの方法

1985年:第一原理分子動力学法(→カー・パリネロ法

1991年:大正準集団(集合)系への拡張 (Cagin and Pettit)

応用領域

理論物理学分野で始まったMD法は材料科学において人気を得て、1970年代からは生化学および生物物理学での人気を得ている。MDはX線結晶構造解析あるいはNMR分光法から得られた実験的拘束情報に基づいてタンパク質やその他の高分子の三次元構造を洗練するために頻繁に用いられる。物理学において、MDは薄膜成長やイオン-サブプランテーションといった直接観測することができない原子レベルの現象のダイナミクスを調べるために使われる。また、まだ作成されていないあるいは作成することができないナノテクノロジー装置の物理的性質を調べるためにも使われる。生物物理学および構造生物学では、MD法はリガンドドッキング脂質二重膜のシミュレーション、ホモロジーモデリング、さらにランダムコイルからポリペプチド鎖折り畳みをシミュレーションすることによってタンパク質構造をab initioに予測するためにも頻繁に適用されている。
シミュレーション設計の制約

分子動力学シミュレーションの設計は利用可能な計算機能力を考慮しなければならない。計算が合理的な時間で終了できるように、シミュレーションサイズ(n = 粒子の数)、時間ステップ、総シミュレーション時間が選択されなければならない。しかしながら、シミュレーションは調べる自然の過程の時間スケールにとって適切なように十分長くなければならない。シミュレーションから統計的に妥当な結論を得るためには、シミュレーションされる時間は自然の過程の速度論と一致しなければならない。さもなければ、MD法は人間が一歩進むよりも短い時間を観察して人間がどうやって歩くのかについて結論付けるのと同じである。タンパク質およびDNAの動力学に関するほとんどの科学論文はナノ秒(10?9 s)からマイクロ秒(10?6 s)のシミュレーションからのデータを用いている。これらのシミュレーションを得るためには、複数CPU日からCPU年が必要である。並列アルゴリズムによって負荷をCPU間で分散することができる。この例としては空間的分解アルゴリズムや力分解アルゴリズムがある[6]

古典的MDシミュレーションの間、CPUを消費するほとんどのタスクは粒子の内部座標の関数としてのポテンシャルの評価である。このエネルギー評価内で最も計算コストが高いのが非結合(非共有結合)部分である。ランダウのO-記法では、全ての対静電相互作用およびファンデルワールス相互作用があらわに考慮されるとすると、一般的な分子動力学シミュレーションは O ( n 2 ) {\displaystyle O(n^{2})} でスケールする。この計算コストは粒子メッシュエバルト (PME) 法( O ( n log ⁡ ( n ) ) {\displaystyle O(n\log(n))} )、P3M法あるいはより球面カットオフ手法( O ( n ) {\displaystyle O(n)} )といった静電的手法を利用することによって低減することができる。


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