分娩室
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この項目では、ヒトや動物の出産について説明しています。ヒトの出産の医学的側面については「分娩」をご覧ください。
出産直後の母親と子。(1974年、米国、ミネソタ州 New Ulm市(英語版)の病院の分娩室の光景)新生児

出産(しゅっさん、: Geburt、: birth, childbirth)とは、妊婦からが産まれること、子を分娩することである[1][注 1]。お産(おさん)とも呼ばれる。

「分娩」と比較して「出産」や「お産」はより一般的な語であり、社会的・文化的側面も含まれている。生物学的に言えば、出産は胎生の動物における胎部から胎児が出ること、或いは出すことを指す語である。出産後の妊婦が元の状態に戻るまでの約6 - 8週間の期間を、産褥期(さんじょくき)」と呼ぶ[2][3]
出産にまつわる用語・概念

性行為または不妊治療などの生殖医療の利用によって受精後平均266日、胎児が十分成熟して体外に出る場合を正期産と呼ぶ。正期産に至るまでの期間や出産時の成熟度は種によってまちまちである。標準より早い場合は「早産」、さらに事故に近い場合を「流産」、遅い場合は「過期産」と呼ぶ。

出産前、あるいは最中に羊膜が破れ、羊水が出ることを破水(はすい)という。出産後、胎盤などが排出されることを後産(あとざん・のちざん)という。

分娩が比較的楽な場合は「お産が軽い」(安産)、何らかの困難を伴う場合は「お産が重い」(難産)という言い方をする。カンガルーのようにごく小さく産む種では出産は軽いが、大型草食動物のように胎児を十分に成長させてから出産する場合や、ヒトのように骨盤底骨が発達している場合、骨盤下口が胎児とくらべて狭いので、胎児が大きい場合出産は重くなる。ヒトの中でも初産年齢や恥骨結合の状態などで異なる。
江戸時代における出産

江戸時代における出産に関する記録のなかで、産婆については「産婆にふさわしい人」として

穏やかで強情を張らない

物事に動じない

心身ともに元気

と記されている[4]大名行列を横切ることも、出産の取り上げに向かっている産婆には特例として許されていた。産科の医者は存在していたが、全て男性だったため、恥ずかしさの余り医者に身を委ねる妊婦は少なかった。その為、産婆だけでも安全な分娩が出来る様に指導書が出版されていた[5]。また出産に関連する物として

『肩畳(かただたみ)』(出産の時に妊婦が寄り抱える様に設計されたという珍しい畳)[6]

『安神散(あんじんさん)』(婦人病や気つけに用いられる粉薬。「売薬資料館」(富山県)に実物がある)[7]

『力綱(ちからつな)』(縄を天井に張り、出産時にしがみつく縄。縄産綱【なわうみつな】ともいう)[8]

『竹刀(ちくとう)』(へその緒を切るのに使用)

『産籠(さんかご)』(漆塗りの椅子で、出産後の妊婦を座らせる。主に富裕層の人々が持っている「洛東遠芳館」(京都府)に実物がある)[7]

がある。そして、出産時は座らせて行っていた。そして出産後は「頭に血が上ってはいけない」という俗説から、座ったまま7日間不眠で過ごさなければならなかった(意識を失って死んでしまうのを恐れたため)[7]
生物学的側面

出産は子供にとっては母親からの生理学的に独立した存在になることを意味する。これまでは胎盤を通じて母親から栄養を補給され、母親に排出物処理を依存し、酸素や二酸化炭素などのガス交換も胎盤を通じて行っていたものが、出産によって全て自分で処理しなければならなくなる。産まれた子がまず最初にしなければならないことが、への外気の吸入である。産声には、この活動を促進する意味があるとされる。

また、母胎の酸素分圧の低い血液から酸素を受け取るための胎児性赤血球は、数日のうちに通常の赤血球と置き換えられる。その際、赤血球の分解にともなって黄疸の症状が出る。

母親の側から見れば、出産は妊娠の終了と共に育児の開始である。生理的には胎盤から放出されていた女性ホルモンの分泌の停止と共に、妊娠状態は解除され、プロラクチンが放出され母乳の分泌が促進され、子への愛情が高まる(と同時に、子以外の人々への攻撃性が高まる)。
社会的・文化的側面

伝統的な社会では、出産には自然的な力が作用するものと考えられ、めでたいことであると同時に非日常的なできごとであると認識されている。そこで、産屋(うぶや)を設けてそこで出産前後を過ごさせるなどによって、外部の人間、とりわけ男性の接近をタブーとするなどの習慣がみられる。そして、出産は月経と同様に不浄なものであるとされ、産後に浄化儀礼が行われる社会も多くみられる。将来の出産に備えて婦人科検診を受けるなど、出産のための活動は「産活」[9][10]と呼ばれる。
ヒトの出産
出産方法帝王切開での出産
経膣分娩
母親(母体)の腟を通って生まれる場合を経腟分娩と言う。なお、帝王切開という技術が導入される以前のお産は、全て経腟分娩(経腟自然分娩)であった(経過については分娩参照)。
計画分娩
母子の状態、あるいは病院側の都合(例えば分娩室が混み過ぎている、産科医のマンパワー不足、などの事情)などから、自然に陣痛が来るのを待たず、陣痛促進剤を用いて計画的に経膣分娩を行う場合がある。促進剤が効きすぎて母子に害が及ばぬよう、分娩監視装置をつけて十分注意を払う必要がある。
自然分娩
1933年にイギリスの産科医ディック・リードにより考案された分娩法で、「本来 お産というのは生理現象であり、子宮や産道の肉体的痛み以外に苦痛が伴うものではない」「分娩に対する不安緊張を招き、不必要な痛みまで誘発して難産になることがある」という考え方に基づいて、妊娠時から母親にお産に関する知識を得させて不安を取り除くことで分娩時の苦痛を緩和する方法(リード法)を採る。[11]
帝王切開
産科学が発達すると帝王切開による分娩も可能となった。自然分娩ではリスクの高くなる分娩、たとえば骨盤位、児頭骨盤不均衡、常位胎盤早期剥離や前置胎盤の場合などに、帝王切開が適用される。一度帝王切開で分娩した場合、陣痛(子宮収縮)による子宮破裂のリスクを回避するため、次回も帝王切開を勧められる。ただし母児の状況によっては、「帝王切開後の経膣分娩」(VBAC: Vaginal Birth After Cesarean) が可能となる。
陣痛

陣痛とは、出産を前に子宮がくり返す規則正しい収縮のこと。またそのときに母体が感じる痛み。初期には間隔も長く、「腹が張る」・「硬くなる」といった程度だが、お産が進むに連れて間隔が短くなっていき、収縮の度合もきつくなり「痛み」を認識するようになる。出産前にお産の痛みの強さを予測することは難しく、一人ひとり痛みの感じ方は異なる。お産の痛みを調べた研究によれば、初産婦の方が経産婦よりも痛みを強く感じ、初産婦・経産婦問わずお産の痛みは、がんによる痛みや関節痛など、とても強い痛みとして知られている痛みよりもさらに強いものという結果が得られている[12]。最も強い段階では、俗に「障子の桟が見えなくなるほど」と形容され[13]、妊婦がパニックを起すこともある[14]。しかし、ラマーズ法(Lamaze Technique)などによる精神・肉体両面の準備があればある程度、感じ方を軽くすることも可能である[15]。全く痛みを感じずに分娩を希望する場合は、硬膜外麻酔による無痛分娩を選択することになるが、すべての症例において完全な除痛を達成できるわけではない[16]。陣痛はお産の進行に応じて下記の通りに変化する。
分娩第T期

陣痛が始まってから子宮の出口が完全に開くまでの分娩第T期には、腹部の下のほうから腰にかけて痛みを感じる。陣痛の始まったばかりの頃の痛みは比較的軽く、「生理痛のような痛み」または「お腹をくだしているときのような痛み」と感じる妊婦が多い。お産が進み子宮の出口が半分くらい開いてくる頃に痛みは急に強くなり、また痛みを感じる範囲も広がってくる。 分娩第T期の終わる頃には、へその下から腰全体、そして外陰部にかけてとても強く痛むようになる。 この段階での痛みを「腰がくだかれそう」と表現する産婦も存在する[12]
分娩第U期

子宮の出口が完全に開いて分娩第U期に入る頃には、痛みは外陰部から肛門の周りで特に強くなってくる。子が産まれる間際には、外陰部から肛門周囲の痛みはピークに達する。 この痛みを「すごく強い力で引っ張られる」、「焼けつくような痛み」と表現する妊婦も存在する[12]
リスク

分娩は妊婦にとって命がけの行為である。周産期医学の発達でかなりのリスクは軽減され、周産期死亡率は日本国内では著しく低下した。2007年度の日本の周産期死亡率は、1,000名の出産に対して4.7名であり世界で最も小さいが、それでも妊娠高血圧症候群前置胎盤癒着胎盤へその緒の巻絡・大量出血・HELLP症候群・ペリネイタル・ロス(流産死産・人工死産・新生児死亡・人工妊娠中絶など、出産を取り巻く新生児の喪失)など、リスクはなくなっていない。


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