初期仏教・部派仏教
仏典三蔵 - パーリ語経典 - 阿含経
ガンダーラ語写本 - 阿毘達磨
結集第一次
分別説部(ふんべつせつぶ、梵: Vibhajyav?da, ヴィバジヤヴァーダ ; 巴: Vibhajjav?da, ヴィバッジャワーダ )とは、一般的には上座部系統に属する諸部派に付託される術語。複数のグループが存在し、上座部の教義、特に説一切有部の教説や補特伽羅論を拒絶したグループとして知られる[1][2][3]。大衆部系統にも分別説部は存在する[4]。 「ヴィバジヤヴァーダ」(Vibhajyav?da)は、大まかには「分離」「分析」を意味する「ヴィバジヤ」(vibhajya)と、「教義」「教説」といった意味を持つ「ヴァーダ」(v?da)に分解される[5][6]。アンドルー・スキルトンによると、現象(dharma)の分析は分別説部の教義において強調・専心されることであるという[5]。 正量部と大衆部はそれぞれ異なるやり方ではあるものの分別説部に言及している[7]。正量部によれば、分別説部は説一切有部から別れて発展した[7]。しかし、大衆部は分別説部を仏教の根本分裂の際にほかの部派とともに生じたとみなしている。大衆部によれば根本分裂によって上座部、大衆部、分別説部の三部派に分かれたのである[7]。大衆部はさらに分別説部に由来する部派として化地部、法蔵部、飲光部、赤銅?部を並べ挙げている[7]。 説一切有部の『婆沙論』では、分別論者(毘婆闍縛地、梵: Vibhajyav?din)が、説一切有部に対して「異議を唱え、有害な教義を支持し、真のダルマを攻撃する」ある種の異端者として描かれている[8]。 Nalinaksa Duttは、「分別説部」と言う言葉が教義上のいくつかの点で主流派と異なる部派の名称として貼り付けられることがあったとしている[9]。この意味では、それらは特定の部派の「分別説部」であろう[9]。こういったことは大衆部の2つの分派、多聞部と説仮部との関係にも見出される。多聞部の主流派が部派と大乗の習合を企てた[10]ため、それに反対する説仮部の成員は自派と彼らを区別するために多聞分別説部と呼ばれることを好んだ[4]。
名称と語源
歴史
上座部の伝統において
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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