刄田 綴色
出生名畑 利樹
生誕 (1976-10-05) 1976年10月5日(47歳)
出身地 日本 島根県邑智郡川本町
職業ミュージシャン、ドラマー
担当楽器ドラム、パーカッション
事務所黒猫堂(2004年 - 2012年)
共同作業者SCOPE
椎名林檎、東京事変
コトホ
ヒグチアイ最強スリーピース
刄田 綴色(はた としき、1976年10月5日 - )は、日本のドラマー、パーカッショニスト。島根県邑智郡川本町出身[1]。2022年より川本町在住[2][3]。バンド・東京事変のドラマーとして知られる。
2003年までは本名の畑 利樹(読み同じ)の名義で活動していた。 インディーズバンド・scopeでドラムを担当しながらソロ歌手やバンドをサポートするプロのスタジオ・ミュージシャンとしての活動を始め、そのサポートドラマーを務める中の一人だったシンガーソングライター椎名林檎が結成したバンド・東京事変に参加する。当初は彼女のバックバンドだったが、椎名本人も参加して正式にバンドとしての活動開始を宣言したのにともない、彼自身もメジャーデビューを果たす。 「東京事変が無ければ田舎に帰って音楽をやめていたと思うし、一生懸命やって事変が無くなったら田舎に帰る。最初は違ったが2枚目で伊澤一葉と浮雲が入ってきた頃からそういうつもりで叩いている」と語っている[4][5]。 左利きだが、字を書く手は小学生の時に直された[4]。 幼少時代から地元の神楽団体にて石見神楽や和太鼓に親しむ[1]。島根県立川本高等学校(現:島根県立島根中央高等学校)まで野球をやっていて小学生の頃はエースだったが、背が伸びなかったことを理由に断念した[4]。中学・高校時代は野球部と掛け持ちでブラスバンド(吹奏楽)部に所属し、パーカッション(ティンパニ)を担当していた[注 1][1][4]。高校3年生から本格的にドラムを始め、バンド活動もスタートさせる[1]。 高校卒業後、18歳ですぐに上京。多くのアマチュアバンドでドラム、パーカッションを掛け持つ[1]。1998年7月、専門学校で出会った長谷山豪(ボーカル・ギター担当)、山崎英明(ベース担当/ siraph、元School Food Punishment)らとバンド「scope」を結成[1]。マキシシングル1枚とアルバム1枚をリリースした。scopeの活動と並行して、サポートドラマーとして椎名純平・川口大輔・中島美嘉などのライブやレコーディングにも参加。2002年、他のメンバーとともにscopeを脱退する[注 2]。
人物
略歴詳細は「東京事変」を参照
2003年
1-2月、中島美嘉の全国ツアー「Mika Nakashima The First Tour 2003」に参加。
8-9月、ハタトシ樹の名義で椎名林檎の実演ツアー「雙六エクスタシー」にバックバンドの東京事変のメンバーとして参加。
2004年
2-6月、中島美嘉の全国ツアー「MIKA NAKASHIMA concert tour 2004“LOVE”」に参加。
5月30日、東京事変がバンドとしてのデビューを宣言したことにより、椎名らとともに正式に東京事変として活動を始める。また、それを機に東京事変での名義を刄田綴色へと変更する[注 3]。
2005年
5-8月、中島美嘉の全国ツアー「MIKA NAKASHIMA LET’S MUSIC TOUR 2005」に参加。
2006年
4月から5月にかけて行われた東京事変の全国ツアー「"DOMESTIC!"Just can't help it.」の最中に右腕を骨折する。そのままツアーを続けた結果[注 4]、骨折が悪化して長期療養を余儀なくされ、同年7月に行われた東京事変主催のライブイベント「SOCIETY OF THE CITIZENS vol.1」に出演できなくなってしまった[注 5]。
2008年
3月、ソロデビューした元CORE OF SOULのボーカルでシンガーソングライターのLOVEの初ワンマンライブ「Embryo Love Songs Live 2008」でサポートを務める[6]。
2009年
この年、フジファブリックのコンサート・ツアー「フジファブリック×FUJIFABRIC 」、「CHRONICLE TOUR」などに参加。
3月、LOVEのワンマンライブ「Confetti Love Songs Live 2009」でサポートを務める。
3月21日、レコーディングに参加したDREAMS COME TRUEのアルバム『DO YOU DREAMS COME TRUE?』[注 6] がリリース。
2010年
7月28日、レコーディングに参加したフジファブリックのアルバム『MUSIC』がリリース。収録曲の「会いに」は、同バンドのボーカル・志村正彦が刄田のドラムをイメージして出来た曲で、アルバムの中でもこの曲だけ作り込んだアレンジデモが存在せず、リハーサルスタジオでメンバーと刄田が一発録りしたラフな曲デモがあるのみ[7]。
2011年
2月10日、路上で泥酔していたところ110番通報され、駆け付けた警察官に畑が体当たりしたために公務執行妨害で現行犯逮捕される。事件が公になった2日後の11日夜、畑の逮捕を受けて所属レコード会社は公式サイトで2月23日に発売予定だったシングル「空が鳴っている/女の子は誰でも」の発売延期を発表した。同時に2月18日と2月25日に2週連続で出演予定だった音楽番組ミュージックステーション』[注 7] をはじめとするプロモーション活動も自粛することになった。同年3月14日、略式裁判により罰金刑が下される。これを受けてメンバーで協議した結果、同年4月5日より活動を再開することとなった。その発表と同時に公式ウェブサイトに謝罪文を掲載。発売延期になっていたシングルの発売も発表された。
11月からフジファブリックの全国ツアー「ホシデサルトパレード TOUR 2011」に参加。
12月31日、東京事変として『第62回NHK紅白歌合戦』に出場する椎名林檎のバックバンドを務めた。
2012年
1月11日、東京事変が解散を表明。同年2月29日の「東京事変 Live Tour 2012 Domestique Bon Voyage」日本武道館公演を以って解散した。
8月31日、山崎英明とともにレコーディングに参加した椎名林檎が舞台「エッグ」のために製作したアルバム『毒苺』がリリース。
11月、LOVEのワンマンライブ「LOVE Live 2012 Antidote Love Songs」でサポートを務める。
2013年
サポートドラマーを続けていたscopeに山崎英明、オリジナルメンバーのキーボード深田礼那とともに正式メンバーとして復帰、4人で活動を再開する[8]。