刀剣の業物一覧(とうけんのわざものいちらん)は、江戸幕府公式の試し斬り役兼死刑執行人であった山田浅右衛門5代吉睦が編纂した『懐宝剣尺』などの複数の書物に記載された日本刀の刀工の格付け一覧。山田は多くの刀で試し斬りを行い、刀工ごとに刀の切れ味(切断能力)を分類して格付けした。最高位から最上大業物(さいじょうおおわざもの)、大業物(おおわざもの)、良業物(よきわざもの)、業物(わざもの)の4等級に分類され、大業物・良業物・業物混合の刀工も含めて多くの刀工が記載された[1][2]。
ただし、寛政九年(1797年)に最初に編纂された『懐宝剣尺』と、後の文化二年(1805年)の再版版と、文政十三年(1830年)に出版された大改訂版の『古今鍛冶備考』では、都度、新たな刀工を追加したり格を補正しているため、刀工数に相違がある。『懐宝剣尺』では最上大業物12工、大業物21工、良業物50工、業物80工、大業物・良業物・業物混合65工であったが、再版版と『古今鍛冶備考』を合わせると、最上大業物15工、大業物21工、良業物58工、業物93工、大業物・良業物・業物混合68工の計255工となっている[3][4]。
切れ味による位列であるにもかかわらず、当時から切れ味で著名だった千子村正は掲載されていない[5]。このことについて、冶金学者・刀剣文化史研究者の岩崎航介は、山田浅右衛門が位列を考案した時には既に村正の妖刀伝説が広まっていたため、幕府に遠慮したのではないかとしている[5]。また享保名物帳に掲載されていた「名物三作」と呼ばれる正宗・粟田口吉光・郷義弘も掲載されていない。これについては山田が将軍の権威に挑戦することになること、現実的に大名家の家宝になっていた名刀を試し切りに供することができなかったことによるものと推測されている[2]。
本項のランクは懐宝剣尺初版より。順序は名前から五十音順。再版版、『古今鍛冶備考』、写本によりリストは相違する。 1805年の再版版に掲載されたソボロ助広(初代 助広)と1830年の『古今鍛冶備考』に掲載された長船兼光と和泉守兼定(二代 兼定、之定)の3工も合わせると計15工となる[3][4]。
最上大業物12工
長曽祢興里(初代 虎徹)
長曽祢興正(二代 虎徹)
清関兼元
孫六兼元(二代 兼元)
仙台国包(初代)
肥前忠吉(初代 肥前忠吉)
陸奥守忠吉(三代 肥前忠吉)
三善長道(初代)
多々良長幸
長船秀光(二代)
三原正家(四代)[注釈 1]
長船元重
大業物21工
高天神兼明
加州兼若(初代)
加州兼則
伊予大掾勝国(初代)
堀川国広
堀川国安
和泉守国貞(初代)
肥後守国康(初代)
対馬守貞重(初代)
与三左衛門祐定[1]
藤四郎祐定
彦兵衛尉祐定
津田越前守助広
近江大掾忠広
越後守包貞(二代)
藤島友重
越前守信吉
主水正正清
長船盛光[6]
長船康光[7]
一平安代[1][8]
良業物50工
長船家助 (二代)
若狭守氏房
次郎左衛門勝光
右京進勝光
兼定 (三代)
関兼房
関兼常
上総介兼重
越前兼植
越前兼則
会津兼定
越後守国儔
山城守国包 (二代)[1]
山城大掾国次 (初代)
岡山国宗
大与五国重[9]
石堂是一[1]=武蔵大掾是一 (初代)
伊賀守定次
南紀重国 (初代)
津田近江守助直
長船祐光
横山祐定
長船忠光
一竿子忠綱[10]
摂津守忠行 (初代)
陸奥忠重
相州綱広 (初代)
対馬守常光
丹後守直道
長船則光 (初代)
助右衛門則光
長船法光 (初二代)
長船秀助
近江守久道 (初代)
金房正真[1]
坂倉正利 (初二代)
大和大掾正則 (初代)
奥州政長
日置光平[11]
左京進宗光
日置宗弘[1]
大宮盛景
康継 (初二代)
大和守安定
備中守康広
高田行長
京吉道 (初二代)
大阪吉道 (初二代)
武蔵守吉門
伊勢大掾吉弘
業物80工
対馬守橘一法[注釈 2] =?佐々木一法 (二代)
手柄山氏重 (初代)[1]=大和大掾藤原氏重[12]
加州勝家 (初二代)
会津兼友 (初代)
兼植 (江戸)[1]
武蔵守兼中