函南町
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かんなみちょう 
函南町
十国峠ケーブルカー


函南町旗[1][2]函南町章

日本
地方中部地方東海地方
都道府県静岡県
田方郡
市町村コード22325-5
法人番号3000020223255
面積65.16km2

総人口35,674人 [編集]
推計人口、2024年4月1日)
人口密度547人/km2
隣接自治体沼津市三島市熱海市伊豆の国市
神奈川県足柄下郡箱根町湯河原町
町の木ひめしゃら[3][2]
町の花はこねさくら[3][2]
函南町役場
町長[編集]仁科喜世志
所在地419-0192
静岡県田方郡函南町平井717番地13
.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯35度05分20秒 東経138度57分12秒 / 北緯35.08894度 東経138.95339度 / 35.08894; 138.95339座標: 北緯35度05分20秒 東経138度57分12秒 / 北緯35.08894度 東経138.95339度 / 35.08894; 138.95339
函南町役場町役場位置
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函南町中心部

函南町(かんなみちょう)は、静岡県東部の田方郡に属する神奈川県に接し、近隣の沼津市三島市などとともに、県東部の中心都市部を形成する。
地理

伊豆半島の付け根に位置する町で、箱根(別名:函嶺)の南に由来する町名[4]に表れるように、箱根山の南西麓と、そこから南へと続く丹那山地の山稜西側の丘陵地に加え、田方平野の一角を町域とする。

自然環境は、山間地に標高1000メートルクラスの山があり、箱根山鞍掛山玄岳に囲まれた豊かな自然環境を有している。町の中間に位置する丘陵地は概ね海抜30 - 40メートルで、ならだかな台地がつづく畑作地帯である。平坦部は海抜7メートル程度で、水田地帯でもあるが、人口の約60%が集中し、市街地が形成されている。

町は近隣の都市のベッドタウン要素が強く、国鉄東海道本線の丹那トンネル開通と三島駅移転・函南駅開業(1934年(昭和9年)12月)後、急速に発展した。町の北東部にある函南駅は東京駅から直線で約100キロメートル圏内の距離に位置し、南関東や東京都心部への通勤も可能である。町の東側に広がる急峻な山地は別荘地も発展している。

市街地は町を東西に走る熱函道路と、田方平野を南北に走る国道136号沿いに広がり、三島市から商業地や住宅地が続く。
主な地形 函南町南端部にある大嵐山(日守山)より町の全景。
写真の中央部が函南町の中心街、左は三島市などの市街地、右は伊豆の国市。中央の山塊が箱根山、右のなだらかな稜線から膨らんだ山が玄岳、下を流れるのは狩野川

山: 箱根山鞍掛山玄岳丹那山地静浦山地

河川: 狩野川、来光川、柿沢川

その他: 丹那断層丹那盆地、氷ヶ池、田方平野

地質

山間地、丘陵地の大部分が第四紀火山砕屑物で形成され[5]安山岩火山岩ローム層及び軽石層からなり、火山帯が南北に走り北伊豆断層帯に丹那断層をはじめとした複数の断層を含む。平坦地は、狩野川及びその支流の来光川、柿沢川によって運ばれた土砂が堆積した第四紀新層の沖積土からなる。
気候

比較的海岸に近い地域であるが、日中と夜間の気温差は大きく、盆地型の内陸性気候の傾向がある。特に、冬の夜間の冷え込みは厳しく、年平均気温は静岡県内の他の地域と比較してやや低い傾向にある。年間降水量は、約1700mmから2000mm程度、年間を通して最も多い風向きは東寄りと西寄りで、秋から冬にかけて比較的弱いが、低気圧の通過に伴い、一時的に西南西の強風が吹く事もある。
隣接している自治体

静岡県沼津市三島市熱海市伊豆の国市

神奈川県足柄下郡箱根町湯河原町

歴史
古代

先史時代の遺跡は、桑原・上沢など箱根山西南麓の緩斜地帯にある。縄文・弥生時代の遺跡は各所にみられ、平井にある
NTT東日本伊豆病院敷地内から、弥生時代末期から奈良時代にかけての住居跡も発見されている。

古墳としては、静岡県最大規模の柏谷横穴群があり、7世紀前半から8世紀初頭のものが多いため、律令時代に活躍した占部氏(伊豆出身)との関連が指摘されている。

平安時代・鎌倉時代

1180年治承4年)石橋山の戦いで敗れた北条宗時は、土肥山から伊豆国の平井(現在の函南町平井)を経て、早河の辺りで平氏方の伊東祐親軍に包囲され、平井の小武士小平井久重に討取られた。大竹の神戸坂にある二基の五輪塔は、討取られた北条宗時と狩野工藤介茂光の墓と言われている。

1202年建仁2年)6月に、宗時の父北条時政は、夢のお告げがあったとして菩提を弔うために桑原に来ている。

現在の函南町域の土豪仁田氏は、古くから函南の歴史に関わってきた。特に、仁田四郎忠常は、1193年建久4年)富士の巻狩りでの猪退治、建久4年(1193年)の曾我兄弟の仇討ちの際に、兄の曾我祐成を討取った事や富士の人穴探検などの逸話で知られている。函南町仁田には仁田忠常の墓があり、町の史跡となっている。また、仁田忠常、仁田次郎忠俊は、1180年治承4年)源頼朝の挙兵の時、山木館攻めに従っており、両名は三島夏祭りの「頼朝公旗挙げ行列」の行列にも参加している。

上記の仁田氏以外に、土豪として主に肥田郷に肥田宗直、畠郷に新田信綱がいた。特に、肥田宗直は、伊豆直家の係累といい、鎌倉将軍源頼家の側近の中の側近でもあった。


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