出羽三山供養塔(でわさんざんくようとう)は、山形県の出羽三山(月山・羽黒山・湯殿山)参拝の記念に造立された石塔である。主に東日本に分布している[2]。出羽三山碑ともいう[3]。 山形県の出羽三山に対する信仰を出羽三山信仰という[4][5]。月山・羽黒山・湯殿山が出羽三山となったのは近世以降である。それまでは湯殿山の代わりに葉山が三山の一つであり、湯殿山は総奥の院とされた[4]。また、出羽三山という呼称が一般化したのは昭和以降であり、それ以前は羽黒三山、羽州三山などと呼ばれていた[5]。 羽黒山に修験道の教団(羽黒修験)が形成されたのは平安時代の末期と考えられており[6]、山頂にある御手洗池(鏡池)から出土した銅鏡の大半は平安・鎌倉時代のものである。羽黒修験では以下の本地垂迹としていた[4]。 山名本地仏垂迹神 羽黒山には天台宗・真言宗・臨済宗などの寺があったが、1641年(寛永18年)に寛永寺末となり天台宗に統一された。しかし、湯殿山の4ヶ寺は真言宗にとどまったことにより、天台宗が羽黒山と月山の祭祀権を、真言宗が湯殿山の祭祀権を持つこととなった[7]。 明治時代の神仏分離において三山は神道化して月山神社、羽黒山の出羽神社、 湯殿山神社となり、月山神社の宮司がそれらを管轄した[6]。月山の登山道にあった数多くの石仏が谷に突き落とされ[8]、湯殿山の4ヶ寺は祭祀権を失った[9]。 出羽三山に登拝する講集団のことを出羽三山講や三山講(さんやまこう)と言う[6]。八日講と称する講もあり、湯殿山の開山日が8日であるため[10]とも、湯殿山のお歳夜(神様の年越し)が12月8日であるため[11]ともいわれる。なお、秋田県内にも八日講があるが、これは八日大神とも呼ばれる唐松様信仰の講である[12]。 新潟県内では上方とは逆に向かうため「おしも講」と呼ばれ、岩手県内では最上講といい鳥海山にも登拝する。千葉県内では奥州講とも呼ばれる[13]。講中による登拝の記念に三山塚を築き、供養塔を造立した[4]。 講は特定の宿坊との師檀関係にあり、宿坊は檀那場や霞と呼ばれる担当地域が定められていた[14]。明治になると赤心報国教会(翌年に敬愛教社と改称)が檀那場の権利を保障するようになるが、のちに神社が檀那場の権利を授与するように改められた[15]。 千葉県では天道念仏と出羽三山信仰の習合がみられ、白衣を着た出羽三山講の行者が鉦と太鼓を鳴らしながら念仏を唱え、梵天(大型の御幣)を立てたヤグラの回りを踊る[16]。終了後に梵天を三山塚に納めることもある[17]。梵天は湯殿山信仰の象徴であり、神の依り代、行人の身代りとしての意味を持つ[18]。
出羽三山信仰
月山阿弥陀如来月読命
羽黒山観世音菩薩玉依姫(今は倉稲魂命)
湯殿山大日如来大山祇神
出羽三山講江戸名所図会に描かれた船橋の天道念仏踊