出石鉄道
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出石鉄道株式会社
種類株式会社
本社所在地 日本
兵庫県出石郡出石町八木87[1]
設立1920年(大正9年)12月20日[1]
業種陸運業
事業内容旅客鉄道事業、砂利採取売買、自動車運輸業[1]
代表者社長 福富太郎左衛門[1]
資本金396,832円(払込額)[1]
特記事項:上記データは1943年(昭和18年)4月1日現在[1]
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出石鉄道(いずしてつどう)は、かつて兵庫県に存在した軽便鉄道路線およびその運営会社である。
概要

但馬小京都と呼ばれた出石町(現在の豊岡市出石町)と山陰本線江原を結ぶべく1920年大正9年)に会社が設立され、紆余曲折の末に1929年昭和4年)、地元住民の出資により軽便鉄道(貨物には蒸気機関車・旅客車はガソリンカー)として開通したが、経済不況や自然災害などにより営業不振が続いた。そして太平洋戦争下の1944年(昭和19年)に不要不急線として営業休止に追い込まれる。終戦後、路線復活の動きもあったものの、結局1970年(昭和45年)に正式に廃線となる。事業会社としての出石鉄道では、バスの運行や、営業休止の賠償としてトラックを入手し、運輸事業等も行っていたが、全線運休後にすべての事業を停止している。
路線データ

出石鉄道線
出石鉄道の列車
概要
現況廃止
起終点起点:江原駅
終点:出石駅
駅数7駅
運営
開業1929年7月21日 (1929-07-21)
廃止1970年7月20日 (1970-7-20)
使用車両車両の節を参照
路線諸元
路線総延長11.2 km (7.0 mi)
軌間1,067 mm (3 ft 6 in)
電化全線非電化
最急勾配25 [* 1]
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停車場・施設・接続路線(廃止当時)
凡例


国鉄山陰本線


0.0江原駅


0.9円山川停車場


?鶴岡駅(仮) *


鶴岡橋梁 円山川


?鶴岡駅(仮) *


2.5上ノ郷駅


4.2中筋駅


6.8小坂村駅


7.6島口駅


8.8鳥居駅


11.2出石駅
鶴岡(仮)(1) 1934年-1936年
鶴岡(仮)(2) 1942年-1943年
^ 袴坂峠、江原 - 上ノ郷駅間


廃止時点

路線距離(営業キロ):11.2km

軌間:1067mm

駅数:7駅(起終点駅含む)

複線区間:なし(全線単線

電化区間:なし(全線非電化

歴史

1910年、山陰東線(現在の山陰本線の一部)が京都駅から鳥取駅まで開通したが、出石町は、鉄道路線から離れた位置になった。そのため、生糸取引所、郡役所、国立銀行などが、次々豊岡市へ移転することとなった[2]。このため、出石町までの鉄道敷設の機運が高まり、住民78名の有志らによって1920年(大正9年)12月に出石軽便鉄道株式会社が設立された。同社は初め出石町の住民らにより出資されたが、後に日高村(いずれも現豊岡市)も出資することになった。第一次世界大戦後の不況とインフレで一時工事が中断したが、1929年(昭和4年)7月21日に江原 - 出石間の全線11.2kmが開業した。資本金は50万円、建設費は69万9782円であった。

開業時は、ガソリンカーを2両、貨車を6両保有して、1日7往復が運転され全線を35分で結んでいた。1930年(昭和5年)から国鉄から蒸気機関車の払い下げを受け、国鉄との貨物の連帯輸送が始められた。1932年(昭和6年)には、鉄道省から小型客車1両の払い下げを受け、混合列車の運行を開始した。1937年には、鉄道省から旧簸上鉄道(現木次線)の客車3両を譲り受け、客車列車の運行を開始した。

開業した1929年(昭和4年)は、旅客数7万4991人、貨物が3785トンで、10年後の1939年(昭和14年)には旅客11万8531人、貨物1万6050トンと増加を見せていたが、不況の影響もあり経営は苦しく、終始赤字経営から抜け出すことはできなかった。一時期は社長が自分の田畑を処分して従業員の給料を支払っていたという。また1934年(昭和9年)には室戸台風により円山川の鶴岡橋梁が流失して打撃を受けた。円山川の両岸に鶴岡仮駅を設置し、同仮駅にて折り返し運転をしながら川を渡し舟で連絡していた。1936年(昭和11年)6月25日に復旧して全線での営業を再開した。しかし1942年(昭和17年)に再び鶴岡橋梁が流失し、1934年(昭和9年)の時と同様に折り返し運転となった。

1943年(昭和18年)2月14日、資材をインドネシアスラウェシ島における鉱山開発に転用するため[3]として、不要不急線に指定され線路の撤去が命じられた。これにより1944年(昭和19年)5月1日に、円山川の河砂輸送のため残されることとなった江原 - 円山川をのぞいて運行休止となり、レールなどが撤去された。この時、代償として、バス4台、トラック5台を受け取り、自動車運輸業を開始した。

戦後になり、地元では鉄道復活の運動が行われた。1946年4月、出石鉄道復旧請願書を、さらに、1948年9月に資材の払い下げ願を大臣に提出した。しかし、復活は実らず、1970年(昭和45年)7月20日に正式に廃止となった。運転休止時に開始した自動車運輸も、1952年3月10日全但交通に譲渡し、事業を休止した。1966年1月に株主総会にて解散決議を行い、同年9月清算完了により解散した。
年表

1919年大正8年)6月27日 : 出石軽便鉄道株式会社(翌年3月、出石鉄道株式会社に改称)発起人が、出石 - 江原の鉄道敷設免許を受ける[4]

1920年(大正9年)12月20日 : 出石鉄道株式会社設立[5]

1921年(大正10年)1月 : 出石鉄道建設工事に着手。

1923年(大正12年) : 資金不足により、建設工事中断。

1929年昭和4年)


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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