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いづぶち ゆたか
出渕 裕
2008年のJapan Expoにて
別名義いづぶち ゆたか
生年月日 (1958-12-08) 1958年12月8日(65歳)
出生地 日本・東京都
出身地 日本・神奈川県横浜市
職業
メカニックデザイナー
キャラクターデザイナー
アニメ監督
イラストレーター
漫画家
ジャンル
アニメーション
特撮
漫画
ゲーム
イラストレーション
玩具
活動期間1978年 -
主な作品
デザイナー
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『ガンダム』シリーズ
『機動警察パトレイバー』シリーズ
『スーパー戦隊シリーズ』
イラストレーター
『ロードス島戦記』シリーズ
『オーラファンタズム』
漫画家
『機神幻想ルーンマスカー』
アニメ監督
『ラーゼフォン』
『宇宙戦艦ヤマト2199』
受賞
第34回 星雲賞(2003年)
自由部門
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出渕 裕(いづぶち ゆたか〈いずぶち ゆたか〉、1958年〈昭和33年〉12月8日 - )は、日本のメカニックデザイナー、キャラクターデザイナー、アニメ監督、イラストレーター、漫画家[1][2]。東京都生まれ、横浜育ち[3]。2003年、第34回星雲賞自由部門を受賞。 保育園の頃、父親の勤める川崎重工業の東京の社宅に住んでいた[3]。その後、埼玉を経て7歳の時に横浜の社宅に移り、小学校3、4年生の頃に両親が家を建てて以後は横浜で育つ[1][3]。 1974年放送の『宇宙戦艦ヤマト』の大ファンとなる[3][注 1]。高校生になるとS-Fマガジンの会員になって月に一度多くの同好の士たちと喫茶店で語り合った[3][4]。1980年代にはSF作家の豊田有恒が主宰した創作集団パラレル・クリエーションに所属した[5]。 1978年、『闘将ダイモス』の敵ロボットのデザインを担当してデビュー[6][7]。以降、『ガンダム』シリーズや『機動警察パトレイバー』シリーズなどのアニメ作品でメカデザインを手掛けるようになる[8]。またアニメに留まらず、東映のスーパー戦隊シリーズの敵キャラクターで特撮のデザインにも進出した[9]。その一方で漫画家としてもデビューし、小説の表紙や挿絵などのイラストレーターとしての活動も始める[8]。またフィクション作品のみならず、川田工業の二足歩行ロボット、HRP-2の外形デザイン・イメージも担当した。さらにはアニメの脚本や絵コンテも手掛け、2002年に『ラーゼフォン』でアニメ監督としてデビューする[2]。2012年には大ファンだった『宇宙戦艦ヤマト』のリブート版『宇宙戦艦ヤマト2199』の総監督にも就任した[2]。 長年に亘って東放学園映画専門学校でアニメーション映像科の講師を務め、「キャラクター表現ゼミ」を開催している。 キャラクター性の強いメカデザインが特徴[10]。怪獣好きだった影響か、ロボットをデザインしてもどこかクリーチャー的な部分が入って来てキャラクター性が出てしまうという[11]。押井守からは、メカとして物理的・構造的に無理があるものや劇中の設定・考証を無視したものが多いとして、「メカ音痴」と評されている[12][注 2]。一方、それに対して出渕は、「ロボット物」である以上、フィクションのロボット兵器はいくら「リアル」を追及しても本当のリアルなものにはなり得ず、ガンダムになるだけであり、そして出渕はそれでいいと思っている[4]。
略歴
作風