でざき おさむ
出ア 統
別名義崎枕、さきまくら、斉九洋、斎九陽、松戸館、松戸完、矢吹徹、多井雲
生年月日 (1943-11-18) 1943年11月18日
没年月日 (2011-04-17) 2011年4月17日(67歳没)
出生地 日本・東京都目黒区
死没地 日本・東京都三鷹市
職業アニメ監督、演出家、脚本家、漫画家
活動期間1963年 - 2011年
著名な家族出ア哲(兄)
受賞
毎日映画コンクール
アニメーション映画賞
1996年『ブラック・ジャック』
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出ア 統(でざき おさむ、1943年11月18日 - 2011年4月17日)は、日本のアニメ監督、演出家、脚本家、漫画家。東京都目黒区生まれ。クレジットタイトル上では「出崎統」と表記されることもある。別名義として「崎枕」「さきまくら」「斉九洋」「斎九陽」「松戸館」「松戸完」「矢吹徹」「多井雲」など。生前は日本映画監督協会会員[1]。アニメ監督、プロデューサーの出ア哲は実兄。 1943年、東京都目黒区で、航空科学専門学校の教授であった出ア晶の次男として誕生。明治時代に福島県相馬郡(現・福島県相馬市)で干拓事業を行った出ア栄太郎の曾孫にあたる。終戦後に相馬に移り住んだが、小学1年生のときに父が結核で死去。以後は東京都渋谷区や板橋区に転居し、母子家庭で育つ[2]。小学4?5年生の頃より手塚治虫に憧れてストーリー漫画を描くかたわら、学校をさぼって映画館に通うほどの映画好きであった[3]。その頃観た映画の中では『カサブランカ』が特に印象に残っていると語っていた[4]。 1959年、東京都立北園高等学校に入学。同級生に江守徹、吉田日出子がいた。1年生のとき、貸本漫画誌『街』の新人コンクールで受賞し、貸本漫画家としてデビュー。『街』(セントラル文庫)などの雑誌で「ホオに傷のある男」「天使達」など[5]多数の読み切り作品を発表した[註 1]。貸本漫画全盛期をよく知る漫画家のすがやみつるは、当時の出アの作風を「都会派アクション」と評し、バラリと前髪がたれたハンサムな若者が進駐軍払い下げのグリースガンをぶっ放すマンガばかり描いていた旨を記している[6]。しかし本人曰く、2年生のときに貸本業界の斜陽によって原稿依頼が来なくなったため[7]、一旦漫画から足を洗って、同校卒業後に東芝に就職[8][註 2]。1年半、工場勤務に従事する。 翌1963年のゴールデンウイーク中、虫プロダクションの求人新聞広告を見つけ、同社のアニメーター採用試験を受験[7]。応募約500人中、採用3人という難関を突破する[5]。本人の談によると、当然動画テストの試験はあったが、出アの漫画を読んだことがあった虫プロスタッフの杉井ギサブローが「こいつなら採用しても大丈夫」と強く推したことが決め手だった。杉井はその際の印象を、面接時から独特の世界、明確な作家性、映像言語を持っていたと述懐している[9]。
来歴
少年期
アニメ会社へ入社