出島
出島の空中写真。2018年4月28日撮影の12枚を合成作成。国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービス
出島(いずしま)は、宮城県牡鹿郡女川町に浮かぶ有人島。 全島が三陸復興国立公園に指定されている。女川町中心部から見て北東にあり、本土とは最も狭い場所で300mしか離れていない。本土と島を結ぶ全長364mの橋が2024年の完成を目標に建設されている出島架橋計画があり、2017年に整備事業が開始された[1][2][3] 集落は、島の北部にある出島と南部の寺間のみであり、両集落の間に宮城県道217号出島線が走っている。人が古くから住み、宮城県最大規模の貝塚群がある。その中でも出島遺跡が良く知られており、考古学ロマンあふれる島である。 島の周辺は、世界三大漁場である金華山沖と呼ばれる好漁場があり、釣り客の来島が多い。 黒潮の影響を受けるため、本土に比べて温暖である。雪はほとんど降らない。 出島という名称は「内陸から前方に離れ出た島」という意味で名付けられた[7]。 女川港からだと航路距離で7km離れており、所要時間は高速船「しまなぎ」で約20分間。出島?寺間間は約12分間(シーパル女川汽船により運航。便により先に入港する港が変わる。1日4便)[2]。 前述のように架橋計画が進んでいるが、計画よりも工事が遅れている[8]。 出島では八雲神社で、寺間では厳島神社でそれぞれ毎年5月の第2・3日曜日に行われる[2]。
地理
面積 - 2.63平方キロメートル
周囲 - 14キロメートル
標高 - 87メートル
人口 - 最盛期は約1800人が暮らしていたが、過疎化や後述する東日本大震災の影響などで2019年11月末時点では77人へ減少している[4]。震災当時の人口は450人[5][2]。
気候
歴史
縄文時代に生活が営まれた跡と推定される出島遺跡が残されている。
南北朝時代に創建された薬師堂がある。
南三陸で操業する船舶の避泊地として重宝されていた。島の開発は、始め製塩業から始まったが、燃料に使う木を伐採し過ぎたことから衰退し、漁業へと変わっていった。[6]
寺間は、出島から分かれた村である。出島は入江に集落が形成されたため、水に恵まれず、雨水に頼らざるを得なかったのに対し、寺間は入江から沢に向かって集落が形成されていった。[6]
出島の由来
交通
生活
公的機関 - 女川町の出先機関として、出島開発総合センターがある(寺間)。
教育機関 - なし。かつては女川町立女川第四小学校、女川町立女川第二中学校があったが、震災後に閉校(両校は同じ校地・校舎に併置され、教職員用宿舎もあった。出島と寺間の中間地点の山中にあった)。
震災前は、女川町立出島保育所が寺間にあった。
郵便局 - 出島簡易郵便局(出島)。震災による津波で建物が流出し、現在は業務休止中[9]。
商店 - 震災前は、寺間に1軒、出島に2軒あった。
食堂 - なし。
ガソリンスタンド - なし。かつては寺間にあったが、震災による津波で建物が流出。
金融機関 - 宮城県漁業協同組合女川町支所出島出張所。
民宿 - 1軒(出島)。2017年にいったん閉鎖され、2018年3月に再開された。
医療機関 - なし。女川町国民健康保険出島診療所(出島)があったが、震災による津波で建物が流出し、現在は閉鎖。現在は月に2度、女川町立病院の院長が、女川町保有の船舶で来航し、仮設住宅の集会場での問診を行っている[10]。急患は漁船または学校そばの野球場から宮城県防災航空隊ヘリで急患搬送。[11]
放送 - アナログテレビ放送については、地形の関係から直接受信に適さないが、島内に共聴施設があるため全島で良好に視聴できる。ラジオは問題なく受信できる。
電気・電話 - 完備している。海峡部での空中架線にて島内に供給。固定電話は「新出島交換所」が島内に存在する。
携帯電話 - NTTドコモFOMAプラスエリア対応機種の場合、出島は、本土側尾浦の対岸に当たるためエリア内、寺間には中継局が存在する。両地区内で使用が可能である。
水道 - 本土から海底送水しているが、老朽化が問題になっている。
し尿・ごみ - 全て本土に搬出。
名所・旧跡・観光スポット・例祭・伝承
名所・旧跡・観光スポット
出島遺跡
薬師堂
永清寺(金箔の仏像「大聖歓喜双身天」がある)
四子ノ崎灯台(1926年から2010年まで霧笛があった。廃止時には、北海道外唯一の霧笛だった)
例祭
伝承
獅子風流(ししふり)- 島に伝わる伝統の獅子舞で後世に残すために児童に指導をしている[2]。
名産品
メバル
ウミタナゴ
アイナメ
ツブ貝
東北地方太平洋沖地震の影響について
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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