この項目では、凧(たこ)について説明しています。その他の用法については「タコ (曖昧さ回避)」をご覧ください。
一般的な凧揚げの光景中国の伝統凧「黒鍋底(ヘイクオテエ)」。つばめ凧の原型。元々は墨一色で兵士が描かれていたという[1]。日本の様々な凧『富嶽三十六景』に描かれた江戸の凧凧の糸に仕込む刃付きの雁木ホッケンハイム(ドイツ)にて滋賀県東近江市の八日市大凧まつり
凧(たこ)とは、糸で牽引して揚力を起こし、空中に飛揚させる物。木や竹などの骨組みに紙、布、ビニールなどを張って、紐で反りや形を整えて作られる。世界各地にある。日本では正月の遊びとして知られ、古語あるいは地方名で紙鳶(しえん)、ハタ、いか(イカ)[2]などとも言う。 半ば伝説的だが、中国大陸で最初に凧を作った人物は、後代に工匠の祭神として祭られる魯班とされている[3]。魯班の凧は鳥形で、3日連続で上げ続けることができたという。ほぼ同時代の墨?が紀元前4世紀に3年がかりで特別な凧を作った記録がある。魯班、墨?のどちらの凧も軍事目的だった。 中国大陸の凧は昆虫、鳥、その他の獣、そして竜や鳳凰などの伝説上の生き物など様々な形状を模している。現代中国の凧で最上の物は、竹の骨組みに絹を張り、その上に手描きの絵や文字などがあしらわれている。 日本では、平安時代中期に作られた辞書『和名類聚抄』に凧に関する記述が紙鳶、紙老鳶(しろうし)として登場し[4]、その頃までには伝わっていたと思われる[5]。日本の伝統的な和凧は竹の骨組みに和紙を張った凧である。長方形の角凧の他、六角形の六角凧、奴(やっこ)が手を広げたような形をしている奴凧など、各地方独特の様々な和凧がある。凧に弓状の「うなり」をつけ、ブンブンと音を鳴らせながら揚げることもある。凧の安定度を増すために、尻尾(しっぽ)と呼ばれる細長い紙(ビニールや竹の場合もある)を付けることがある。尻尾は、真ん中に1本付ける場合と、両端に2本付ける場合がある。尻尾を付けると回転や横ぶれを防ぐことができ、真上に揚がるように制御しやすくなる。 17世紀頃から交易船によって、南方系の菱形凧が長崎に持ち込まれ始めた[6]。出島で商館の使用人たち(インドネシア人と言われる)が凧揚げに興じたことから、南蛮船の旗の模様から長崎では凧を「ハタ」と呼び、菱形凧が盛んになった[7][8]。これは、中近東やインドが発祥と言われる菱形凧が、14-15世紀の大航海時代にヨーロッパへと伝わり、オランダの東方交易により東南アジアから長崎に広まったものとされる[1]。 江戸時代には、大凧を揚げることが日本各地で流行り、江戸の武家屋敷では凧揚げで損傷した屋根の修理に毎年大金を費やすほどだった[5]。競技用の凧(ケンカ凧)には、相手の凧の糸を切るためにガラスの粉を松脂などで糸にひいたり(長崎のビードロ引き)、刃を仕込んだ雁木を付けたりもした[5]。 このような状況により喧嘩や事故で死人が出ていた為、明暦元年(1655年)「町中にてイカノボリを揚げる事を禁ず」という禁止令がだされ、烏賊ではなく章魚だと故事付けて続けた事からタコの名称になる。 当時は長崎でも、農作物などに被害を与えるとして幾度か禁止令が出された[7]。 明治時代以降、電線が増えるに従い、市中での凧揚げは減っていくが、正月や節句の子供の遊びや祭りの楽しみとして続いた。1910年、森下辰之助は、飛行機凧を発明し、皇孫への献上を出願した[9]。 スポーツカイトは1960年代に登場した凧である。2本、4本など複数のラインを用いて自在に操ることができる。第二次世界大戦中、アメリカ海軍では対空射撃の訓練用として2本ラインの凧が使用され、これがスポーツカイトの原型となった。定期的に競技会が開かれ、決められた図形を凧でなぞっていく規定競技や音楽に合わせて様々な技を披露するバレエなどで操縦技術を競い合う。 以下のような凧がよく知られている。なお、日本ではこれら分類とは別に和紙や竹などから構成される和凧と、海外から輸入され、ビニールなど様々な素材で構成される洋凧(カイト)に大別される。 江戸時代後半から明治にかけて、日本では数多くの凧(和凧)が作られてきた。和紙と竹に恵まれた日本では、地域ごとに特徴のある「ふるさと凧」が生み出され、伝統が受け継がれてきた。和凧といっても形も名前も様々である。ふるさと凧は、地域の自然や暮らしに結びついた大切な伝統文化なのである[10]。その主なものを上げると、角凧、津軽凧(青森県)、南部凧(青森県)、べらぼう(秋田県)、まなぐ(秋田県)、まきいか(青森県)、八つ凧(茨城県日立市)、大凧(埼玉県)、奴(東京都)、とんび(東京都)、べか(静岡県)、ぶか(静岡県)、あぶ(愛知県)、ますいか(香川県)、釣鐘いか(香川県)、いぐり凧(島根県)、ようかんべい(大分県)、はた(長崎県)、ぶんぶん(鹿児島県)、まったくー(沖縄県)[10]。 以下、日本の凧の例を画像で挙げる。 なお、菱形、鳥型の凧や龍を模した連凧など、世界には様々なタイプの伝統的な凧が存在する。また、現代の凧には空気を入れて膨らませるようなものもあり、さらに多様な形状をとるようになっている。これらの画像については英語版
歴史
種類
娯楽用の凧
角凧
最も一般的な和凧の基本形。長方形が多いが正方形もある。竹を削って紙を貼って作ることもできる。厳密には以下の凧でも角凧に含まれるものがある。
ぐにゃぐにゃ凧
二つの棒の間にビニールを付けて作る凧。製作が簡単な割にはよく飛ぶ。
ゲイラカイト(Gayla Kite)
アメリカ合衆国で発明された三角形の洋凧。「ゲイラカイト」の“ゲイラ(Gayla)”とは発売したメーカーの名で、登録商標であるが、日本では「三角形の凧」の代名詞ともなっている。日本には1974年に輸入された。NASAの元技術者が開発したという触れ込みで、「(NASAジョンソン宇宙センターがある)ヒューストンからやって来た」というテレビ・コマーシャルで当時、一大ブームを起こした(実際には元技術者のフランシス・ロガロが発明したのはロガロ翼
立体凧
立体的な凧。「行灯凧」など。
笛凧
笛凧ベトナムに見られる笛を付けた凧で、ダンフオン県バズオンノイ村で行われる凧揚げ祭りで競い合う[11]。
連凧
小型の凧を複数連ねたもの。
鳥凧
鳥の格好をしたもの。
セミ凧
昆虫のうち、セミの格好をしたもの。
六角巻凧
六角形をしたもの。新潟県三条市【六角巻凧発祥之地】のものが知られる。二代目歌川広重の描いた丸凧
丸凧
丸い形をしたもの。静岡県袋井市で保存・伝承されている。
バイオカイト
2001年に伊藤利朗
仕掛け凧
蝶の形状を模した風弾(ふうたん)がよく知られる。揚がっている凧に装着する。上空のストッパーに当たると羽根が折り畳まれ、落ちてくる。沖縄県の八重山諸島ではシャクシメーと呼ばれている。
シコフレックス
短い円筒形の凧。
エネルギー凧
実用の凧
気象観測
19世紀末から20世紀前半にかけて箱型のボックスカイトに測定機器を取り付け風速、気温、気圧、湿度など高層の気象観測が行われた。
移動通信用のアンテナ
衛星通信や携帯電話の中継局が普及するまで、長距離の無線通信を波長の長い中波や短波で行なう際に、係留線を導体とした凧を臨時のアンテナとして使用することがあった。
カイトフォト
凧およびカイトで軽量カメラを上空に揚げ撮影を楽しむ。地上から約300メートル以下の低空の空中撮影が可能で、各種の学術調査にも利用されている。
カイトサーフィン(カイトボード)
カイトボードは専用のカイト(凧)を用いて、ボードに乗った状態で、水上を滑走するウォータースポーツである。
画像
東京都中央区日本橋 凧の博物館(2020年3月6日撮影)
江戸凧(2010年1月4日撮影)
蝦夷凧(北海道の凧)
津軽凧(青森県の凧)
天旗(宮城県の凧)
和凧
文化正月飾りに使用される凧長崎市金比羅山でのハタ揚げ童謡の里凧あげ祭り(兵庫県龍野市)浜松の大凧祭
凧を「タコ」と呼ぶのは関東の方言で、関西の方言では「紙鳶(しえん)のぼり」、特に長崎では「ハタ」と明治初期まで呼ばれていた。それを売る娯楽用品店もあり、日常的に遊ぶ娯楽になった。しかし凧を揚げている人同士でケンカになったり、明治時代の当時、建設の真っ只中であった電線に引っかかり停電になったり、農作物の畑の中に落ちた凧を拾おうと田畑を踏み荒らすといった問題も起きていたため、一部地域では法令により禁止された。
凧が「タコ」と呼ばれる由来は凧が紙の尾を垂らし空に揚がる姿が、蛸に似ているからという説がある。長崎では凧のことをハタといい、ハタ揚げ大会が開かれる。方言周圏論からは、近畿・北陸、中四国の一部にイカ、それを囲むように東日本・四国南部・九州東部にタコがあり、さらに、この外側、東北北部と九州西部にハタが見られ、「ハタ」や「タコ」と各地でそれぞれの名前で呼ばれていた。
世界各国の凧では、それぞれ空を飛ぶ動物などの名前が付けられていることが多く、英語ではトビ、フランス語ではクワガタムシ、スペイン語では彗星を意味する単語で呼ばれ、日本のように水生動物の名前で呼ぶのは珍しい[12]。 正月遊びとしての凧揚げには意味があり、天高く揚げて、男の子の健康・成長を願う。日本ではかつて正月を含む冬休みには子供たちが凧揚げをする光景がよく見られ、玩具店のみならず子供たちが買い物をする頻度の高い身近にある駄菓子店や文房具店などで凧も販売されていた。特に凧揚げが盛んに行われていた1970年代には、冬休みの時期には電力会社がスポンサーの夕方のニュース番組で「凧揚げは電線のない広い場所で」「電線に引っかかったら電力会社にご連絡ください」という内容のコマーシャルがよく流されていたほどで、当時のトラブルの多さを窺わせる。 1980年代以降は凧揚げが安全にできる広い空間が少なくなったことに加え、テレビゲームなど新しい玩具の普及、少子化などもあり正月の凧揚げの光景も少なくなった。 ただ単に人が集まり凧を挙げるだけではなく、見た目の美しさや滞空時間等を競うものもある。また、凧同士をぶつけあったり、相手の凧の糸を切ったりすることで勝利を競う凧合戦という文化もある。日本国内では、正月のほか、5月の端午の節句の行事として子どもの成長を願って全国各地で凧揚げ大会など凧揚げに関する催しが行われることが多い。 滋賀県東近江市では面積100畳(縦13メートル、横12メートル)、重さ約700キログラムの大凧(おおだこ)を揚げる「八日市大凧祭」が行われてきた歴史があり(2015年に起きた落下した凧による死亡事故で休止中)、「世界凧博物館東近江大凧会館」が開設されている。この八日市大凧(ようかいち おおだこ)は江戸時代中期から始まった。1882年には、240畳の大凧が揚げられたという記録がある[13]。現在では、「近江八日市の大凧揚げ習俗」は国の選択無形民俗文化財に選択されている。 インドでは、グジャラート州やマハラシュトラ州など各地で盛んに凧あげ祭りが行われるが、凧糸にガラスなどを張りつけて近場の凧の糸を切る、いわゆる喧嘩祭りのスタイルを採ることがある。
正月の風物詩としての凧
凧揚げ行事