冬月_(駆逐艦)
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艦歴
計画1941年度(マル急計画
起工1943年5月8日
進水1944年1月20日
竣工1944年5月25日
除籍1945年11月20日
その後戦後工作艦任務
1948年5月一部解体
船体は北九州若松港の防波堤
要目(計画)
排水量基準:2,701英トン
公試:3,470トン
全長134.2m
全幅11.6m
吃水4.15m
機関ロ号艦本式缶3基
艦本式タービン2基
2軸 52,000馬力
速力33.0ノット
航続距離18ノットで8,000海里
燃料重油:1,080トン
乗員263名/307名[1]/343名[2]
兵装
(1944年[3]65口径10cm連装高角砲 4基8門
九六式25mm機銃 3連装5基
同単装12挺
61cm4連装魚雷発射管 1基4門
九三式魚雷8本)
九四式爆雷投射器2基
九五式爆雷 54個
電探
(1944年[3]21号電探1基
13号電探1基[注釈 1]
水測兵装九三式探信儀1基
九三式水中聴音機1基[注釈 2]
1945年4月7日、天号作戦での冬月。後部高角砲発砲の瞬間。後方は戦艦大和。アメリカ軍撮影。

冬月(ふゆつき)[5][6] は、日本海軍太平洋戦争後半で運用した駆逐艦[7]秋月型駆逐艦の8番艦である[8]

秋月型は、この冬月以降で船体各部形状の簡略化・艦橋の大型化などの変更が加えられたため[9]、冬月型として区分する分類法もある[10][11]。艦名は片桐大自の研究によれば「[12]。艦名は「つ」に濁点が付いたものが、海上自衛隊の護衛艦「ふゆづき」に継承された。
概要

一等駆逐艦冬月(ふゆつき)は[6]、日本海軍が舞鶴海軍工廠で建造した秋月型駆逐艦[8][13]1943年(昭和18年)5月8日、起工[13]1944年(昭和19年)5月25日に竣工して[13]、訓練部隊の第十一水雷戦隊に所属した[7]。6月末から7月初旬にかけて[7]第五艦隊各艦とともに小笠原諸島および硫黄島方面への緊急輸送作戦に従事した[14][15]。7月中旬には[7]、軽巡洋艦長良や練習巡洋艦鹿島等とともに、沖縄方面輸送作戦に従事した[16][17]

7月15日、日本海軍は秋月型駆逐艦2隻(冬月、霜月)で第41駆逐隊を編制する[18][19]。8月10日、第41駆逐隊は空母雲龍、軽巡洋艦五十鈴と共に東京湾方面の警戒任務に従事した[20]

10月中旬、第41駆逐隊は軽巡大淀の横須賀?内海西部回航を護衛するが[21]、10月12日にアメリカ潜水艦トレパンに襲撃され[22]、被雷した冬月は艦首に損傷を受けた[23]。10月17日には姉妹艦の涼月もアメリカ潜水艦の雷撃で艦首を損傷し[24]、2隻ともレイテ沖海戦に参加できなくなった[25]。またレイテ島増援作戦(多号作戦)支援のため第二遊撃部隊に編入されていたが、戦闘には参加していない[26]

11月15日、第61駆逐隊の解隊により、姉妹艦涼月が第41駆逐隊に編入される[27][28]。また空母機動部隊と第十戦隊の解隊により[29]、第41駆逐隊も第二艦隊麾下の第二水雷戦隊に所属した[30]。本艦の修理は11月18日に完成した[23]。修理後、冬月と涼月は空母隼鷹のフィリピン輸送作戦を護衛する[31]。戦艦榛名と駆逐艦を加えた内地への帰路ではアメリカ潜水艦の集団に襲われ、隼鷹と槇が被雷して損傷した[7][32]

1945年(昭和20年)4月上旬、第41駆逐隊は第二艦隊[注釈 3]の沖縄水上特攻作戦に参加する[34][35]4月7日の戦闘で冬月の損傷は軽微だったが[36]、涼月が大破する[37]坊ノ岬沖海戦[34][38]


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