冬宮殿(ふゆきゅうでん、Winter Palace、ロシア語: Зимний дворец、ラテン文字表記:Zimniy Dvorets(ズィームニイ・ドヴァリェーツ))は、ロシア連邦サンクトペテルブルクにある、かつてのロシア帝国の宮殿である。冬宮(とうきゅう)ともいい、ロシア皇帝の冬季の王宮[1]として1754年?1762年の間に建設された。 設計はイタリア人建築家バルトロメオ・ラストレッリで[2]、緑と白の石材を用いたロココ建築は1,786のドアと1,945の窓がある。宮殿の北側はネヴァ川に面し、南側には宮殿広場が広がる。 帝政時代は王宮として機能し、最初に使用したのはエカテリーナ2世大帝(在位:1762年 - 1796年)[3]。 レフ・トルストイによる小説『戦争と平和』に描かれる1812年ロシア戦役前後のロシア宮廷の舞台の一つである。 ロシア二月革命による帝政廃止後はロシア臨時政府(首相:ゲオルギー・リヴォフ公、後にアレクサンドル・ケレンスキー)が置かれた。十月革命においてボリシェヴィキが突入し臨時政府のメンバーを逮捕、臨時政府庁舎としての役割を終える。ロシア革命期の宮殿については、ジョン・リードの著書『世界を揺るがした10日間』および同書を原作とした映画「レッズ」に描かれている。 十月革命後、建物はエルミタージュ美術館の本館となった。同宮殿はエカテリーナ宮殿などのその他の建築物とその周辺とともにサンクトペテルブルク歴史地区と関連建造物群として世界遺産に登録されている。 建設時の外壁は薄い黄色だったが、その後、幾度となく様々な色で塗り替えられている。現在のような薄い緑色になったのは1947年だが、エルミタージュ美術館の創設250年にあたる2014年に元の薄い黄色に復元される予定である。だがこの計画には反対意見も存在している[4]。 以下、外壁の色の変遷を挙げる(主なもので、これが全てではない)。
歴史
外壁の色
薄い黄色(建設時)
薄いピンク(1850年代)
赤茶色(1913年)
灰色(第2次世界大戦中、空襲の標的となるのを避けるため)
薄い緑色(1947年、戦争からの解放感を象徴するため明るい色に)
脚注^ 名称としては冬宮殿と対になる宮殿として、サンクトペテルブルク中心部から30 km離れたペトロドヴォレツの100以上の噴水があることで著名なペテルゴフにピョートル大帝時代に建設された夏宮殿