冬の蠅
訳題Winter Flies
作者梶井基次郎
国 日本
言語日本語
ジャンル短編小説
発表形態雑誌掲載
初出情報
初出『創作月刊
『冬の蠅』(ふゆのはえ)は、梶井基次郎の短編小説。序章と3章から成る。渓間の温泉地での療養生活の冬の季節、部屋の中に棲みついている蠅たちを観察する「私」の物語。好転しない病と将来への不安で、焦燥と倦怠の日々を送っていた伊豆湯ヶ島での2度目の冬を題材に、日向の中での欺瞞の安逸と、極寒の絶望と緊張の中での戦慄との相剋の心境が綴られている[1]。数日間の彷徨の間に死んだ冬の蠅の運命から、人間の意志を超えた気まぐれな条件に命運が委ねられている世界に気づく新たな認識までを描いた作品である[2][3][1][4]。基次郎の代表作の中でも評価が高く、近代日本文学の中でも名作の一つとして数えられている[2][1]。 1928年(昭和3年)5月発行の雑誌『創作月刊
発表経過
翻訳版は、Robert Allan Ulmer、Stephen Dodd訳による英語(英題:Flies of Winter"、または "Winter Flies)、Jean-Pierre Giraud & Sumitani Hirobumi訳によるフランス語(仏題:Mouches hivernales)、Stefan Wundt訳によるドイツ語(独題:Fliegen im Winter)で出版されている[8][9]。 渓間にある温泉宿に長期滞在している「私」は、冬の季節、10時頃からようやく窓に差し込む光で日光浴を始めていた。開けた窓からは、光点のように飛び交う虻や蜂や、渓の岸から岸へと糸に乗って渡る蜘蛛などが見え、冬でも昆虫は活動していた。 「私」が半裸で日光浴していると、部屋の天井から蠅が日向に降りて来る。日陰では動きのなかった蠅たちは、日光の中では活気づき交尾までしていた。しかしながら彼らは虻や蜂のように戸外へ飛び立つことなく、なぜか病人である「私」を模すかのように部屋の日向で遊んでいる。そして、「私」が飲み干した後の牛乳瓶の中で出られなくなり、毎日2匹ずつくらい死んでいった。 「蠅と日光浴をしている男」と自称する「私」は、冬の蠅を観察するのが日課のようになっていた。病による疲労感がとれずに都会に戻りたくても戻れない「私」は、温泉地での2度目の冬を迎えていた。「私」は絶望と倦怠の日々を過ごし、日光浴をしながらも太陽を憎んでいた。生の幻影で騙し結局は自分を生かさないであろう太陽を「私」は憎んだ。 この温泉地に来る前の都会にいた冬至の頃、「私」は毎日のように部屋の窓から景色を眺め、冬の日の影や落日に愛惜を持っていた。しかし今の「私」は陽光の風景に象徴される「幸福」に傷つけられ、太陽光線の欺瞞を感じている。日向の蠅たちも「生きんとする意志」に愚昧化され、牛乳瓶の中の蠅も登っては落ちていく。 日が翳る午後になると、蠅は動きが鈍くなり、「私」が寝床につく頃には、天井に貼りついていた。昼間は、のこのこと生き返り遊んでいた蠅も、天井でじっとしている姿は本当に死んでいるかのようであった。他に宿泊客のいない夜には、その冬の蠅はより一層の「私」に深い寂寥感を起させ、あたかも自分が深夜の渓間の中の廃墟にいるような孤独な気持になった。 ある晴れた温かな日、「私」は郵便局からの帰り道で疲れ果て、ふとやって来た乗合自動車に乗り込んでしまった。それは半島の南端行きの自動車であった。「私」は心地よい車の揺れに身をまかせ、途中の3里(約12キロメートル)離れた山の中で降りて自分自身を薄暮の山へ遺棄してしまった。日がすっかり沈んでしまった後、「私」は自身の運命そのままの絶望の風景の極寒の山道を歩きながら、決然とした意志が生まれた。「私」は快い気持で、「歩け、歩け、歩き殺してしまえ」と自分を鞭打った。 夜遅く、南端の港町に「私」はいた。そこに至るまで「私」は、とある温泉地の共同温泉に浸かり食事を摂った後に、再び2里ほど離れた温泉地へ徒歩で向かおうとするが、道に迷ってしまい自動車でその港町に来たのだった。「私」は港町付近の温泉で3日ほど過ごしたが、その卑俗で薄汚い平野の風景に飽きてしまい、再び望みのない「私」の渓間の村に帰っていった。 その後「私」は何日も寝込んでしまった。「私」には放浪の後悔はなかったが、「私」の行状を知った時の知人たちの暗い気持ばかりが気になっていた。そしてふと、自分の部屋に蠅が1匹もいなくなっていたことに気づく。「私」のいない数日間、窓も開けられず日向もなく、火鉢も焚かれなかったために蠅は寒さと飢えで死んでしまっていた。 鬱屈した部屋から飛び出し自分を責め虐んでいた間、蠅たちが本当に死んでしまったことに「私」は衝撃を覚え憂鬱になった。冬の蠅と同じように、何かの気まぐれな条件が「私」を生かし、そしていつか殺してしまう気がした「私」は、そいつの幅広い背中を垣間見たように思った。それは新たに「私」の自尊心を傷つける空想であり、ますます「私」の生活に陰鬱を加えていくのを「私」は感じる。
あらすじ
登場人物
私
渓間の温泉地の宿で転地療養している小説家。牛乳瓶の中から滑って出られなくなった蠅を倦怠の気持で観察する。日光浴の後の鈍麻した感覚の中で虚無的な疲れを感じる。都会に戻れない焦燥と寂寥感で眠れない夜は、軍艦の進水式を想像し、次に小倉百人一首を一首ずつ思い出し、その意味を考える。そして最後に、考えつくかぎりの残虐な自殺の方法を空想する。