冨士山下宮小室浅間神社
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冨士山下宮小室浅間神社

鳥居と拝殿
所在地山梨県富士吉田市下吉田3丁目32番18号
位置.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯35度29分41.36秒 東経138度48分11.40秒 / 北緯35.4948222度 東経138.8031667度 / 35.4948222; 138.8031667 (小室浅間神社)座標: 北緯35度29分41.36秒 東経138度48分11.40秒 / 北緯35.4948222度 東経138.8031667度 / 35.4948222; 138.8031667 (小室浅間神社)
主祭神木花咲耶姫命
神体富士山
社格等旧郷社
別表神社
創建(伝)大同2年(807年
別名下宮さん
例祭流鏑馬祭(馬蹄占い神事)9月19日
主な神事筒粥祭1月14日
神馬祭5月 5日
地図.mw-parser-output .locmap .od{position:absolute}.mw-parser-output .locmap .id{position:absolute;line-height:0}.mw-parser-output .locmap .l0{font-size:0;position:absolute}.mw-parser-output .locmap .pv{line-height:110%;position:absolute;text-align:center}.mw-parser-output .locmap .pl{line-height:110%;position:absolute;top:-0.75em;text-align:right}.mw-parser-output .locmap .pr{line-height:110%;position:absolute;top:-0.75em;text-align:left}.mw-parser-output .locmap .pv>div{display:inline;padding:1px}.mw-parser-output .locmap .pl>div{display:inline;padding:1px;float:right}.mw-parser-output .locmap .pr>div{display:inline;padding:1px;float:left}冨士山下宮小室浅間神社
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冨士山下宮小室浅間神社(ふじさんしもみやおむろせんげんじんじゃ)は、山梨県富士吉田市にある神社旧社格郷社で、現在は神社本庁別表神社。全国にある浅間神社の一社。旧称冨士山下宮浅間神社[1]登記上の宗教法人名称は小室浅間神社(おむろせんげんじんじゃ)。

富士北麓地域・富士吉田一円の産土大神で、上吉田・下吉田・松山の三郷の総鎮守

神馬の飼育をしている。地元では「下宮(しもみや)さん[2]」「下浅間(しもせんげん)」とも呼ばれる。
概要

年間を通じて、祭事に「占い」「神籤(おみくじ)」が重要な位置をしめており、後述する祭礼である「馬蹄占(ばていうらない)をする流鏑馬祭」と「筒粥祭」の占いから地域住民の生活に密着した古い富士山信仰が窺える。

甲斐国志』に「此ノ社、古ヘ上下吉田及ビ松山三村ノ産子ナリ。後、各村一祠ヲ立テ祭ル今モ猶上吉田ニハ、子生マレテ百日ノ後、社参スルニ先ズ下宮ニ参詣ス。」とあり、周辺に他の神社が増えても赤子の無事の成長を祈る初宮参りが盛んで、地域住人の信仰を受けていることが伝わる。
祭神

木花咲耶姫命

歴史

社伝によれば、延暦12年(793年)、征夷大将軍坂上田村麻呂が東征の際、吉田の地より富士山を遙拝して戦勝を祈願し、戦勝後の大同2年(807年)、神恩に感謝して社殿を造営したのに始まるという。

古い記録では「宮」と記されており、宝永3年(1708年)の村差出明細帳までは「浅間宮」と記載されていた。

かつて下吉田の集落は現在の下吉田東町にあり、現在境外末社である東町金毘羅神社のある地に祀られていたが、雪代被害が多く現在の地に集落と共に移転し、剣丸尾溶岩を背負う形で移された[2] と伝わる。

建武2年(1355年)9月23日清和天皇遠孫を称する家臣、大塔宮護良親王の首を桂の神木の根元に葬り、祈請書を残す。

天正4年(1576年)北条氏と小山田氏の戦いで上下両吉田の町と全焼する(勝山記・妙法寺記)。

江戸時代、富士北麓最大規模の寺院、月江寺の鎮守でもあり、明治までは祭礼で月江寺僧の諷経が行われていた。

寛永3年(1626年)4月6日、社中の杉の古木が雷火で燃える(甲斐国志)現在の拝殿にその一辺が扁額となって飾られている。

拝殿は天正年間(ユリウス暦1573年からグレゴリオ暦1593年)の造り。

本殿は明和4年(1767年)郡内大工仲間は御役大工棟梁萱沼弥左衛門による建築で、山梨県最大の一間社本殿となる。この本殿は以降の郡内大工仲間の本殿建築に図面が参考・下地にされ、郡内域に中小同様の社殿が建設された。文化財の登録はしていない。本殿。一間社入母屋造り向拝唐破風付き。山梨県最大の一間社本殿である[3]。軒下が覆壁に囲われている。

明治に入り氏子地域であった上吉田を北口本宮冨士浅間神社に割譲し、それまでの「冨士山下宮浅間神社」から現在の「小室浅間神社」に改称した。

それに合わせて、祭神も江戸末期まで記名されていた本殿の「浅間大明神、天照大神、犬飼大明神、愛鷹大権現、新羅三郎義光(仮借、護良親王)」を「木花咲耶姫命(浅間大神)」一柱に統一し、表の神紋を「棕櫚の葉」から「大和八重桜」に変更した。

天照大神は末社の五社神社に、護良親王は大塔宮社に分社された。

1957年(昭和32年)、隣接する下吉田第一小学校の校庭拡張の為、境内地と尾垂山の市有地を交換した。また同年、別表神社に列格。
下宮の由来

富士山に対する「下宮」であり、具体的な上宮は存在しない。

なぜ下宮と呼ばれるのかについては諸説ある。
元々単に「宮」と呼称されていたが、上吉田の諏訪ノ森にある諏訪神社境内に新たに祀られた
北口本宮冨士浅間神社等、各村々で浅間大神を祀り始めたため区別する必要から、富士の北麓では古くから富士山の方角を上と呼ぶ為、他の浅間神社より富士山の下手に在る宮として「下宮」と呼称されるようになった[3]

元々単に「宮」と呼称されていたが、昔から河口湖の人々が富士吉田方面を下(しも)と呼んでいる為、河口浅間神社と比較して「下宮」と呼ばれるようになった。

富士山二合目にある小室浅間神社(現・冨士御室浅間神社旧本宮)を「上宮」とし、それに対する呼称「里宮」ともいわれた[4]。ただこの説は広く流布しているが俗説で、以下の点から現在否定されている。

両社は流鏑馬を含め由緒由来が異なる。

「甲斐国志」に富士河口湖町勝山には小室浅間神社里宮の記述があるのに対し、下宮浅間には小室浅間神社との関連つける記述が一切ない。

二合目の小室浅間神社社地を富士河口湖町勝山が飛び地として問題なく得た。

二合目の社殿を富士河口湖勝山の里宮境内に移築した。

二合目小室浅間神社との関連が立証されず富士山世界文化遺産の構成候補から外れた。(富士講による富士山信仰というよりも、産土氏神鎮守的な要素、生活に根差した富士山信仰が強く登録にあたり吉田・船津口登山道の一環として採用できなかった)

同富士吉田市内大明見の阿曽谷宮守神社が同時期に同じ社名「小室浅間神社」に改称した。

流鏑馬祭を共同で執り行っていたと伝わるが、「勝山記・妙法寺記」などから途絶える明治までにも富士河口湖勝山の流鏑馬に「馬蹄占」「占い」をしていた記録・記述がない。

流鏑馬祭を行っていた場所が「二合目小室浅間神社近くの?ヶ馬場」と3の説にあるが、実際は「中の茶屋の近くにあった?ヶ馬場」であり場所が大きく違い、?ヶ馬場の場所は二合目小室浅間神社と関係がない事。

流鏑馬は富士北麓全域の各神社・村々合同で行われており、?ヶ馬場以降、長馬場と時代が下るにつれ、それぞれの地域に分散化していることが分かってきている[5]

下述にあるが近代「下浅間」と「下宮浅間」が混同されている。


下浅間と下宮浅間の混同

富士吉田市内には北口本宮冨士浅間神社が上吉田に、この小室浅間神社が下吉田にあるため、北口本宮の呼称「本宮」に対して当神社を「下宮」と呼称しているとの誤解を招きやすい。現代では北口本宮を「上浅間(かみせんげん)」や「上浅(かみせん)」、小室浅間神社を「下浅間(しもせんげん)」や「下浅(しもせん)」と呼ぶことが定着してしまっていることもそれに拍車をかけている。

しかし、本来「下浅間」とは冨士山下宮小室浅間神社ではなく北口本宮冨士浅間神社を指している[6]

例として、北口本宮の境内図面から吉田口登山道が描かれた延宝8年(1680年)の『八葉九尊図』には現北口本宮境内が「下浅間」と記されている[7]。また、文化11年(1814年)に成立した甲斐国の地誌である『甲斐国志』にも、以下の記載がある。


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