写真乾板(しゃしんかんぱん、英: photographic plate)とは写真術で用いられた感光材料の一種で、写真乳剤(臭化カリウムの溶液と硝酸銀の溶液をゼラチンに加えてできる、光に感光する物質)を無色透明のガラス板に塗布したものである。ガラス乾板(がらすかんぱん)あるいは単に乾板(かんぱん)と呼ばれる場合も多い。
目次
1 歴史
2 科学での利用
2.1 天文学
2.2 物理学
2.3 医学
2.4 電子部品製造
3 規格
3.1 一般撮影用
3.2 ステレオ写真用
4 代替品
5 注釈
6 出典
7 参考文献
8 関連項目
9 外部リンク
歴史(英語版)が発明した[1][2]。当初は青色にしか感光しなかったが、1873年にはヘルマン・フォーゲル(英語版)が黄色と緑色に対する感光性を持たせる方法を発明[3]し、1878年には工業生産されるようになり[2][注釈 1]、箱入りで購入し好きな時に現像できる[1]ため短期間で湿板を駆逐した[2]。さらに1884年にヨーゼフ・マリア・エーダー(英語版)が改良した[3]。感度も写真湿板の数倍と高く[1]、ハンドカメラや瞬間シャッターの開発を促し[1]、手持ち撮影も可能になり[1]またアマチュア写真家の参入を可能とした。
ベース素材を破損しやすいガラスからニトロセルロースに代替してより便利に扱うことができるよう改良された写真フィルム、特に何枚も巻き上げては撮影できるロールフィルムが1888年に登場[4]して需要が減った。日本では1931年に起きた満州事変を契機とし財政の大膨張、金輸出再禁止、円安、軍需インフレーションで一般購買力が増大してアマチュアに写真が流行し、その際アマチュアは旧来の嵩張って重く不便な乾板カメラを避けてロールフィルムカメラを購入したので、たちまちロールフィルムが一般化したという[5]。田中政雄は1935年を「乾板とロールフィルムの交替期に当たる」としている[5]。1978年時点ではわずかにアグフア・ゲバルトがゲバパンを製造し日本にも大名刺判と大陸手札判が旭光学(現ペンタックス)の特需課により輸入されていた[6]。 この節には複数の問題があります。改善
科学での利用
出典がまったく示されていないか不十分です。内容に関する文献や情報源が必要です。(2017年11月)
独自研究が含まれているおそれがあります。(2017年11月)
ガラスは非常に安定しており、特に広角撮影のための大判でも曲がったり歪んだりすることがないため、研究用品質での撮影ではフィルムに比べて圧倒的に優れていた。
しかし乾板の量子効率が約2%であるのに対して更に量子効率が高い、光に対する応答の線形性が良い、撮影や画像処理が容易であるといったいくつかの利点を持つ電荷結合素子 (CCD) に取って代わられ、この分野でも1980年代初めから顕著に減少している。それでもCCDは現在存在する最大のフォーマット(8,192×8,192ピクセルなど)でも多くの写真乾板の解像度に劣っている。このため現在天文学で使われているサーベイ観測用カメラではCCDチップを並べた大規模なアレイを使用せざるを得ない。またデジタルデータや(FITSなどの)データ形式の「寿命」についても不確定な点があるため、写真乾板の必要性も全くなくなったわけではない。
天体観測などの専門的な分野では1990年代まで用いられていた。 昔の肉眼観測による方法に代わって、多くの太陽系天体が写真乾板を用いて発見された。写真乾板を用いた小惑星の発見はマックス・ヴォルフによる1891年の (323) ブルーシアの発見から始まった。写真乾板を用いた衛星の発見は1898年の土星の衛星フェーベが最初である。
天文学