円也(えんや、? - 1584年(天正12年)9月5日)は、安土桃山時代の浄土宗の僧。秀蓮社雲誉を号す。筑後国柳川の出身で、俗姓を中西氏という。菊池氏の末裔とも伝わる。周防国の出身との異説もある[1] 若い頃より諸国を歴訪し、名僧を尋ねた。 伊勢国の悟真寺
略歴
初め増上寺9世貞把
に学び、後に存貞の弟子となった。1563年(永禄6年)存貞より相模国大長寺住職の座を譲り受け、2代目住職となる[2]。
1566年(永禄9年)10月14日、増上寺法主の座を存貞より譲り受け、11代目法主となる。
1582年(天正10年)11月、火災により増上寺を焼失。境内の再建に努めるが[3]、この頃より隠棲を志す。
1584年(天正12年)8月、弟子の慈昌に増上寺法主の座を譲り、天光院を開いて隠棲する。
[5]
脚注^ 天光院史より、周防説の詳細については記載なし
^ 相模国風土記稿 大長寺の項
^ 天光院史 ただし本格的な再建は次代に持ち越される。
^ 天光院史より
^ 注記の無い部分については日本仏家人名辞書の記載に拠った
参考文献
鷲尾順敬『日本仏家人名辞書』光融館、1903年、106頁。NDLJP:816939。 円也の項
間宮士信『新編相模国風土記稿』 第四輯 巻之三十一、鳥跡蟹行社、1884年、5-12頁。NDLJP:763970/526。 大長寺の項
“ ⇒天光院史”. 天光院. 2014年2月2日閲覧。