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内閣総理大臣公邸
Prime Minister's official Residential Quarters
内閣総理大臣公邸(ないかくそうりだいじんこうてい、英: Prime Minister's official Residential Quarters)は、日本の内閣総理大臣の公邸。内閣総理大臣が執務する内閣総理大臣官邸(首相官邸)に対して、総理が日常生活を行う住居である[1]。
所在地は東京都千代田区永田町二丁目3番1号。
建屋と機能総理大臣公邸(中央右下)の航空写真。同じ敷地内の首相官邸(中央左上)に隣接している(2009年4月27日撮影)
現在の公邸は、1929年(昭和4年)3月18日に竣工した旧首相官邸を移動(曳家)して改装した建築物で、2005年(平成17年)から利用されている。
2003年(平成15年)10月から約1ヵ月をかけて、総重量約2万トンの建物全体を、東に8度回転させながら南に約50m移動させる曳家を行い、その後1929年(昭和4年)の完成当時の姿を丁寧に復元する改修が施された。また邸内には茶室や和室のダイニングなど外国からの賓客をもてなす部屋が新たに作られた。また燃料電池による発電・熱供給システムや、太陽光発電、風力発電など環境に配慮した各種最新設備が導入された。内閣総理大臣官邸とはインターネットを経由しない専用回線で結ばれており、公邸でも執務が可能である[2]。
改修工事は2005年(平成17年)4月に終了し、小泉純一郎政権発足4周年の同年4月26日に新公邸への引越しが行われた。
首相在任期間中、公邸に居住するか否かは歴代の首相ごとに判断が委ねられている。東日本大震災を経験した菅直人は公邸、その次の野田佳彦も余震や原発対応の観点から公邸であった。2015年(平成27年)2月23日の衆議院予算委員会で、当時首相であった安倍晋三が衆議院議員松木謙公に公邸に居住しない理由を問われ、「自宅(実際には渋谷区富ヶ谷の別宅[注釈 1])の方がゆっくりと休息できること」を挙げ、「危機管理対応にもほとんど支障がない」と答弁している[3]。
また、2021年(令和3年)2月15日の衆議院予算委員会で、当時首相を務めていた菅義偉が公邸に居住せず、官邸から約500mの距離がある港区の赤坂議員宿舎から通勤していることについて、元首相の野田佳彦が「首都直下型地震など緊急事態への対応や、公邸には年間1億6千万円の維持管理費がかかっている」と指摘したのに対し、「緊急事態には対応していく態勢は、日ごろからしっかり取っている」と答弁している[4]。
長らく首相が公邸に入居しない状態が続いていたが、2021年(令和3年)10月に首相に就任した岸田文雄は、同年12月11日にそれまで居住していた港区の赤坂議員宿舎から公邸へ引越した。現職の首相の公邸への入居は野田佳彦以来約9年ぶりである[5][6][注釈 2]。8月21日に新型コロナウイルスへの罹患が判明した際には、公邸からテレワークを行った[2]。 旧官邸と渡り廊下で連結していた平屋造り508平方メートルの旧公邸は、その外観こそは官邸に連なるライト風の建物だったが、内装には和式を取り入れていたことから、完成当時は「日本間」と呼ばれていた(画像
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正面玄関
大ホール。晩餐会が行われる
ロビー(旧官邸の喫煙室)。賓客等との面会に使われる
西階段[注釈 3]
壁面装飾品
カエルの装飾品(大食堂前)
ミミズクの装飾品(屋上)
猫の装飾品(正面玄関)
歴史
仮公邸 (1937-45年)として建造されたが、ここに首相が居住することは一度もなかった。
旧公邸は、二・二六事件で陸軍反乱兵によって掻き乱され、住居としては使い物にならないほどにまで荒らされてしまった。そこでこれを復旧するのは諦めて官邸の事務所に転用し、翌年には官邸南庭に木造二階建ての仮公邸を新築した。この家屋は外観が日本式そのものだったので「日本家」と呼ばれた。しかし「日本家」は会合や臨時の休息所として使用されることはあっても、定住する者はない空き家だった。二・二六事件以後の歴代首相は、もう誰もこの物騒な敷地内に居住しようとはしなかった。「日本家」は1945年(昭和20年)5月25日の米軍による大空襲で焼失した。
戦後になっても首相の私邸居住は変わらなかった。歴代首相は毎日都内の私邸から官邸まで、黒塗りの首相専用車に乗ってパトカー先導で通勤していたのである。一方、当時の大物政治家は御殿のような邸宅に居住している者も少なくなかった。そうした邸宅をもつ首相のなかには、逆に官邸の機能を私邸の方へ持ってきてしまう者もいた。すでに戦前には、近衞文麿が杉並区荻窪の私邸「荻外荘」を主要閣僚との会談などに活用し、大戦前夜の重要な国策の多くがここで決定されている。