内閣総理大臣の異議
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内閣総理大臣の異議(ないかくそうりだいじんのいぎ)とは、行政訴訟のうち取消訴訟において、内閣総理大臣裁判所に対し執行停止の申立てについて異議を述べること。諸外国に無い制度であり、行政事件訴訟法27条にその規定がある。
由来「 行政事件訴訟法#沿革」も参照

この制度は、もとは行政事件訴訟特例法[1]10条に定められたものであり、当初は立法に否定的だったGHQが、平野事件を契機として、否定を覆し導入を指示したとされる[2]。GHQがそれほどまでに「平野事件」に過剰な反応を示した背景としては、いわゆる「ニューディーラー」で構成されていたGHQのリーガルセクションが司法権に対して強い不信を抱いていたことが指摘されている。すなわち、「ニューディールの最大の妨害者であった」アメリカ連邦最高裁判所のように、日本の裁判所が来るべき社会改革を妨害することが危惧されたために、司法権の暴走を防ぐ手立てが必要とされたのである[3]。行政事件訴訟特例法の下では米内山事件の最高裁決定により実務上は執行停止決定前に述べることで決着がついたが、執行停止決定後に述べる場合については、理論上の問題が残り、概ね司法側と行政側および学会の通説でその解釈が分かれていた。[4]2004年の法改正において廃止が検討されたが、省庁の猛烈な反対によって今後の検討課題として見送られ、[5]未だに現行の行政事件訴訟法27条に引き継がれている。[2]
概要

制度自体の合憲性を正面から争う裁判において合憲を認めた判例があるが、[6]この判決に対して全く認容できないとする論評もある[7]。合憲性に争いが残されたまま、最後の行使からほぼ半世紀が経っているが、近年においてもその行使が検討されたことはあるので、本制度を定める行政事件訴訟法27条の条文が完全に死文化したとは言えないのかも知れない[8]

内閣総理大臣は、取消訴訟における処分の執行停止について、裁判所に対し、異議を述べることができる(第27条第1項)。これに対し、裁判所は形式的審査権を有するが、実質的審査権は持たないものと解される[9]。しかしながら、理由の付記を欠いても異議が不適法にならないとする説もある[10]

裁判所は異議を受けた場合、執行停止をすることができず、すでに執行停止の決定をしているときは、これを取り消さなければならない(同条第4項)。この条項は行特法10条には無かった規定であり、執行停止決定後に述べられた場合についての立法的解決である。すなわち、決定の前に異議が適法に述べられた場合、執行停止の申立ては却下され[11]、決定の後に異議が適法に述べられた場合、執行停止の申立ては取り消され、[12]始めから無かったものとされる[13]

また、この制度は内閣総理大臣の権限が大きいので、理由を付さねばならないのはもちろんのこと(第2項)、理由には処分の効力を存続し、処分を執行し、又は手続を続行しなければ公共の福祉に重大な影響を及ぼすおそれのある事情を示さねばならず(第3項)、やむを得ない場合でなければ異議を述べてはならず(第6項前段)[14]、異議を述べた場合は次の常会国会に報告しなければならない(同項後段)[15]

仮の義務付け及び仮の差止めにも準用されている(第37条の5 4項)。

また、無効等確認の訴えの仮の救済手続にも準用されている(第38条3項)。
具体例

行特法時代に計18件、行訴法制定から現在までに計9件ある[16]
行特法時代

行特法時代の具体例内閣総理大臣年度事件の種類既済内容異義申述時期
執行停止決定前執行停止決定後
吉田茂1949(昭和24)東京都議会議員の辞職許可処分取下○  
同1949(昭和24)東京地方労働委員会職員の免職処分却下○
同1949(昭和24)朝連学園の閉鎖処分認容・取消○
同1949(昭和24)神戸市吏員の免職処分却下○
同1950(昭和25)京都府立医大の放学処分同○
同1950(昭和25)同 同○
同1950(昭和25)長崎市吏員の免職処分同○
同1952(昭和27)兵庫県議会議員の懲罰決議認容・取消○
同1952(昭和27)只見川の発電用水使用許可取消処分却下○
同1952(昭和27)青森県議会議員の除名処分[17]認容・取り消さない決定○
同1953(昭和28)土地使用裁決(アーニー・パイル劇場)却下○
同1953(昭和28)土地収用裁決(西武鉄道)同○
同1954(昭和29)京都市立中学校教員の免職処分等同○
同1954(昭和29)京都大学の放学処分同○
鳩山一郎1955(昭和30)土地収用認定(砂川)同○
同1955(昭和30)同通知同○
同1955(昭和30)土地使用裁決(横浜根岸地区)同○
同1955(昭和30)鯖江市の町村合併処分認容・取消○

行訴法制定以降

佐藤内閣総理大臣の異議の乱発は、最初の内こそ国会での野党から、あるいはマスコミから大いに批判されたが、行政側と市民側との根競べのような状況において、最後には市民側が折れてしまい、次第に異議が通ることが当たり前のように受け取られるようになるにつれ、注目や関心を余り集め無くなっていった。

集団示威運動に関する事件での執行停止とそれに対する異議申立てによる決定については、一刻を争う事案処理を求められる上で、ほとんど毎度にわたり困難な対処を迫られた。

行訴法時代の具体例内閣総理大臣年度執行停止決定月日事件の種類異議申述を受けての決定年月日[18]既済内容国会報告[19]
回次主な質問者
佐藤栄作1967(昭和42)6・9東京都公安条例に基づく集団示威運動に関する事件[20]6・10取消55猪俣浩三岡沢完治[21]中村喜四郎占部秀男[22]  
同同7・10同[23]7・11同同亀田得治[24]  
同同7・10同[23]7・11同同同   
同1968(昭和43)2・2同[25]2・2同58久保三郎[26]林百郎[27]  
同1969(昭和44)2・26同[28]2・26同61田中武夫[29]  
同同2・28同2・28同 
同同11・15同[30]11・16同 
同同11・16同11・16同
同1971(昭和46)4・15天皇皇后両陛下の広島行幸啓をめぐる集団示威運動に関する事件[31]4・16取消67赤松勇[32]水口宏三[33]  

批判

内閣総理大臣の異議の制度についてはその憲法適合性に関する争いがある[34]。合憲説の主力であった兼子説・田中説は支持を失い、現在のところ少なくとも理論上は違憲説が主流である[35]


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