内野町
町丁
「内野四ツ角」交差点から見た内野駅(2020年6月)
.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯37度51分25.59秒 東経138度56分16.21秒 / 北緯37.8571083度 東経138.9378361度 / 37.8571083; 138.9378361
国 日本
都道府県 新潟県
市町村 新潟市
区■ 西区
人口(2018年(平成30年)1月31日現在)[1]
? 合計2,169人
等時帯UTC+9 (日本標準時)
郵便番号950-2112[2]
市外局番025 (新潟MA)[3]
ナンバープレート新潟
内野町 (うちのまち)。は、新潟県新潟市西区の町字。丁番を持たない単独町名であり、住居表示未実施区域[4]。郵便番号は950-2112[2]。 1960年(昭和35年)から現在までの町名[5]。角田山北東の新川流域に位置する。もとは江戸時代から1889年(明治22年)まであった内野村の区域の一部で、古くは内野新田村とも称した[5]。 北から東回り順に、以下の町字と隣接する。 ※ 西川を挟んで新通西、槇尾と隣接。新川を挟んで内野戸中才、内野西と隣接。 1854年(安政元年)に長岡藩の相給となる。古くは崎山と細越の2村であったと伝えられる[5]。 1889年(明治22年)以後に、以下の町字が分立。
概要
隣接する町字
大学南
内野山手
歴史
分立した町字
内野山手 (うちのやまて)
1991年(平成3年)2月9日に分立した町字[6]。
内野西 (うちのにし)
1993年(平成5年)11月1日に分立した町字[7]。
内野戸中才 (うちのとなかさい)
1960年(昭和35年)に分立した町字[8]。
内野潟端 (うちのかたはた)
1960年(昭和35年)に分立した町字。地名は旧大字と小字を合わせたもの[9]。
内野崎山 (うちのさきやま)
1960年(昭和35年)に分立した町字。地名は旧大字と小字を合わせたもの[8]。
内野関場 (うちのせきば)
1960年(昭和35年)に分立した町字。地名は旧大字と小字を合わせたもの[8]。
内野早角 (うちのはやつの)
1960年(昭和35年)に分立した町字。地名は旧大字と小字を合わせたもの[8]。
内野潟向 (うちのかたむかい)
1960年(昭和35年)に分立した町字。地名は旧大字と小字を合わせたもの[8]。
内野長潟 (うちのながた)
1960年(昭和35年)に分立した町字。地名は旧大字と小字を合わせたもの[8]。
年表
1889年(明治22年)4月1日 : 町村制施行に伴い西蒲原郡内野村が村制施行し、内野村が発足。
1901年(明治34年)11月1日 : 合併により内野村の大字内野となる。
1928年(昭和3年)10月1日 : 内野村が町制を施行し、内野町の大字となる。
1960年(昭和35年)1月11日 : 合併と同時に新潟市の町丁となり、内野町に改称。
2007年(平成19年)4月1日 : 新潟市の政令指定都市移行により、西区の町丁となる。
Size:34 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
担当:undef