内舘牧子
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内館 牧子
プロフィール
誕生日 (1948-09-10) 1948年9月10日(73歳)
出身地 日本秋田県秋田市生まれ
主な作品
テレビドラマ『ひらり
『てやんでえッ!!』
毛利元就
私の青空
昔の男
受賞
1990年:日本女性放送者懇談会賞
1993年:第1回橋田賞
1995年:第10回文化庁芸術作品賞
『てやんでえッ!!』
その他
2000年横綱審議委員
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内館 牧子(うちだて まきこ、1948年9月10日 - )は、日本の脚本家作家作詞家

東日本大震災復興構想会議委員東京都教育委員会委員、ノースアジア大学客員教授。元横綱審議委員会委員(2000?2010年)。学位造形学士(武蔵野美術大学)修士 (宗教学)(東北大学)
略歴

秋田県秋田市土崎港生まれ[1][2]。父親は岩手県盛岡市、母親は秋田市出身[3]。日本冷蔵(ニチレイ)に勤めていた父の転勤で、四歳から新潟県、小学校3年からは東京都大田区で育った[1]。幼い頃はいじめられっこであったが自身を助けてくれた男の子が大きな体を持っていたことから、体の大きな男の子は優しいのだという意識が刷り込まれたといい、これが大相撲に興味を持つきっかけとなったという[4]東京都立田園調布高等学校を経て、1970年(昭和45年)、武蔵野美術大学造形学部基礎デザイン学科卒。在学中はラグビー部のマネージャーを務めた[5]

その後は三菱重工業に入社して横浜製作所に勤務、同所硬式野球部でマネージャーも務めた[6]。1987年脚本家デビュー。当初は岸牧子の筆名で活動。代表作に、NHK連続テレビ小説ひらり』、『私の青空』、大河ドラマ毛利元就』などがある。

大の格闘技ファン、特に好角家であることが知られ、2000年8月に女性初の大相撲日本相撲協会横綱審議委員に就任。東京で行われる場所は10日は会場に足を運んだ。その他プロレスにも造詣が深く2011年現在東京スポーツ催のプロレス大賞で特別審査委員も務めている[7]2003年東北大学大学院文学研究科修士課程の社会人特別選抜を受験し合格[8][4]。人間科学専攻(宗教学)へ入学し『神事としてみた相撲』を研究テーマに宗教学を専攻。2006年修了。(修士 (宗教学))

2000年大阪府知事に就任した太田房江が、大相撲大阪場所での大阪府知事賞の贈呈を土俵上でと希望したことを、日本相撲協会が相撲女人禁制の伝統を理由に拒否したことに関しては、一貫して協会側を支持。2006年、修士論文を『女はなぜ土俵にあがれないのか』として刊行。宗教的儀式としての相撲の歴史と伝統を検討した上で、文化論争を抜きに、伝統の世界に男女共同参画の観点を安易に持ち込む風潮に疑問を呈した。

2005年より東北大学相撲部監督に招聘。2006年より秋田経済法科大学(現・ノースアジア大学)客員教授。2007年より武蔵野美術大学映像学科客員教授としてシナリオ制作の実習授業を担当。2011年4月東日本大震災復興構想会議委員に就任。なお近年は週刊誌の連載コラムやインタビューなどが主な仕事となっている。

2017年5月7日、東京都内で第7回「忘れられない看護エピソード」表彰式に、ギプスをはめた車いす姿で出席。右足骨折で全治6ヶ月の重傷を負ったことが明らかになった[9]
女性初の横綱審議委員会委員

2000年9月、当時の時津風理事長(元大関・豊山)からの委嘱により、女性初となる横綱審議委員会の委員として約10年間活動した。

2002年1月場所前(同年1月7日)に行われた横審稽古総見の際、第67代横綱・武蔵丸が左手首の故障を理由に当日総見を欠席するも、数日前にプロレスラグビー観戦をしていたことに対し、「社会人として最低。あんな横綱に優勝して欲しくない」などと厳しく非難。その件がきっかけとなって「横審の魔女」の異名を冠するようになった[10][11]

2003年1月場所で2場所連続優勝を果たし場所後に第68代横綱に昇進した朝青龍について、同場所後の横審定例会では「今回、昇進させなければ、今後誰も横綱に昇進させられなくなってしまう」[12]と述べて昇進自体には賛成したが、同時に「問題は『客のために相撲を取っているんではない』などの言葉。品格を直してほしいと注文した」[12]とも述べて、師匠の高砂親方に対し品格面での一層の指導を求めた。その後も朝青龍の常識外れの行動・言動についてその都度猛批判しており、「朝青龍の天敵」としてマスコミに大きく取り上げられていた[13][14]。もっとも、私的な立場としては「私はプロのスポーツ選手として朝青龍をすごく認めますし、超が3つつくほど好き」「アスリートとしては、150%好き」と好意をよせていた。しかし普段の辛口のコメントについては「でも大相撲には相撲道の精神がある。それを無視し続けていた朝青龍と、ビシッとした態度を全く取らない師匠(高砂親方=元・大関朝潮)がいるから、私は毎回鬼のように怒らなきゃならなかった」「私自身朝青龍に対して、『横綱』としては一切認めていない」[15]などと報道陣に述べた経緯がある。

2008年12月、心臓弁膜症で倒れ緊急入院・手術のため約4か月間治療に専念[16]。翌2009年4月29日の大相撲稽古総見で復帰の際、朝青龍の方から内館に近寄り「先生大丈夫ですか?心配しましたよ。元気になって良かったですね」と語りながら笑顔でハグされると、内館も思わず笑みを返す場面があった。その後内館は、記者陣に対し「(朝青龍は)まるで(豊臣)秀吉みたいな『人誑(たら)し』だわ。『天敵』の私を喜ばせるんだから」と皮肉交じりにコメントしている[17]


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