内田誠_(実業家)
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うちだ まこと
内田 誠
生誕 (1966-07-20)
1966年7月20日(57歳)
日本 東京都
国籍 日本
出身校同志社大学神学部
職業実業家
肩書き日産自動車 取締役兼代表執行役社長兼CEO
任期2019年12月1日 -
配偶者既婚
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内田 誠(うちだ まこと、1966年昭和41年7月20日-[1])は、日本実業家2019年12月1日より、日産自動車取締役兼代表執行役社長CEOに在任している。日本自動車工業会副会長。
経歴

1966年昭和41年)7月20日に東京都にて誕生した。父親が航空会社に勤めていたため、小学1年生から5年生までをエジプトカイロで、中学2年生から高校2年生までをマレーシアで過ごした。帰国後は帰国子女を受け入れていた同志社国際高校に進学し[2]1991年平成2年)3月に同志社大学神学部を卒業した[1][3]。世界を相手にダイナミックな仕事をしたいという思いを元に同年4月、日商岩井(現双日)株式会社に入社。同社では機械部門に配属された後に自動車部門へと移り、フィリピンに5年間駐在した。現地では当時、日商岩井と三菱自動車工業が設立していた合弁企業に勤務していた[4]

2003年(平成15年)、37歳の時、ヘッドハンディングではなく、自らの意思で日産に転籍する。日産に転籍した理由として、「もっとグローバルな仕事がしたいと思い、もう1回何かやるなら自動車関係をやってみたいと、門をたたいたのが日産でした。」と述べている[5]。なお、その当時、日産について「グローバルでダイバーシティー多様性)に富んだ会社」という印象を持ったと述べている[6]

入社直後は厚木テクニカルセンターの購買部門にて部品の購買と調達を担当した。2016年に同社常務執行役員に就任、ルノー・日産・三菱アライアンスの購買を担当した。大韓民国へ出向した際にはルノーの韓国工場で製造したエクストレイルを北米市場へ輸出するプロジェクトを率い、徹底的にコストを下げ、ビジネス効率を高めて多大な利益をもたらした[7]。これは社内では当時“アライアンスの成功事例のひとつ”と評された。そして2018年(平成30年)、同社専務執行役員に昇格するとともに、東風汽車有限公司総裁に就任した。
日産CEOとして
混乱の中で始まったCEO任期

2019年令和元年)12月に同社専務執行役員から昇格し、日産自動車代表執行役社長兼最高経営責任者に就任した。ルノー出身で三菱自動車工業から転籍したインド人のアシュワニ・グプタCOOと日産生え抜きで長らく技術畑を歩んできた関潤COOが支える体制は「3頭体制」「トロイカ体制」と呼ばれた。当時の日産はカルロス・ゴーン前会長が東京地検特捜部金融商品取引法違反等の罪で逮捕されたこと[8]や先代の西川廣人代表執行役社長兼最高経営責任者が不正報酬問題で辞任したこと[9]の影響で経営が混乱していた上にブランド力も低下しており、業績が低迷していた。更に就任直後に関潤COOが突如辞任し日本電産に移籍するという事態が発生し[10]、トロイカ体制は崩壊してしまった。また、その他多数の役員が日産を見限って他社に移籍し[11]、まさに日産は泣きっ面に蜂といった状況下でCEOとしての任期がスタートした。
NISSAN NEXT

彼の指導の下、再建への取り組みを始めた日産だったが、そこに突如として新型コロナウィルスという逆風が吹くことになる。ただでさえ業績が低迷していたにも関わらず全世界での外出自粛の動きにより自動車が売れなくなり完全に八方塞がりの状態になった。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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