内田裕也とザ・フラワーズ
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内田裕也とザ・フラワーズ (バンド)
出身地
日本
ジャンルグループ・サウンズ
活動期間1967年 - 1970年
レーベル日本コロムビア
事務所芸映

メンバー内田裕也
麻生レミ
小林勝彦
奥ススム
橋本健
和田ジョージ
中村ケント

内田裕也とザ・フラワーズは、1967年に結成されたグループ・サウンズ、ニュー・ロックのバンド。1970年にメンバー再編でフラワー・トラベリン・バンドヘ展開した。
目次

1 メンバー

2 概要

3 ディスコグラフィー

3.1 シングル

3.2 アルバム

3.3 オムニバス

3.4 映画音楽


4 映画出演

5 参考文献

6 脚注

7 関連項目

メンバー

内田裕也ボーカル司会

麻生レミボーカルギター)またはソロ歌手麻生京子 元ブルー・ファイヤー[1]

小林勝彦(エレキ・ペダル・スティール・ギター)元キャシー五月とザ・レインジャーズ。

奥ススム(奥進)(リード・ギター、ボーカル)のちファミリー・ミュージック・ストア[2][3]

橋本健(ベース) 

和田ジョージ(和田丈二)(ドラムス

千葉ひろし(ボーカル)※1968年7月脱退。

中村ケント(ボーカル)※千葉に代わって加入→1969年6月脱退。

ジョー・アキラボーカル)※中村に代わって加入、元491(フォー・ナイン・エース)。

石間秀樹ギター)元ザ・ビーバーズ

概要

1967年11月結成。1967年11月26日新宿ACBでデビュー、プロダクションは芸映に所属した。渡辺プロダクションを辞した内田裕也が約3ヶ月の欧州旅行中に見たロンドンでのジミ・ヘンドリックスなどの最新音楽体験、その影響感覚を持ち込み、帰国後に結成したグループ。自身の名「内田裕也」を冠するが洋行前に抱いた構想、プロデューサー、コンポーザー志望から演奏面はコーラスなど、おもにMCなど一歩控えた立場で参加していた[4]

都内の銀座ACB、サンダーバード、アストロ、新宿ゴーゴーACBといったジャズ喫茶、ゴーゴークラブを中心に活動する。1968年5月、8月の日劇ウェスタン・カーニバル参加、8月の公演ではジェファーソン・エアプレーンの「ホワイト・ラビット」をメンバーの一人が持つ蝋燭の灯火の中で演奏、また別のステージでは剣と盾を持ち構える人物を置いて演奏するなど、「サイケデリック」を演出したが、ディスコでは踊れない、馴染みの薄いサイケデリック楽曲演奏で不興を買ったりもした[5]

レコード・デビューについては、1967年末に加瀬邦彦ワイルド・ワンズ)作曲の「愛するアニタ」をレコーディングする計画があったが立ち消えになり、翌年に現代音楽家・一柳慧作曲で横尾忠則らのコラボレーション・アルバム「オペラ横尾忠則を歌う」に参加、日活映画のサウンドトラックス制作、演奏で出演する[6]

1968年中頃、日本コロムビアと契約する。内田が自由にレーベル不干渉のアルバムを一枚制作する代わりに[7]井上忠夫によるジャッキー吉川とブルー・コメッツが発売を見送った2曲と他の楽曲と併せたそれぞれ2枚のシングル盤で制作発売することが条件となった。

アルバム制作が実現するまでに[8]源氏物語を(ロック)アルバム化するのが夢だ」とも内田は語っていたが出来上がったアルバムは一曲がオリジナル(「左足の男」)、他は英米ロックのカバー曲で占められ、後年「当時はそれがフラワーズの実力(限界)だった。」と述懐している。

「最先端のロック」を標榜したにもかかわらず、2枚のシングルは歌謡曲調であり、エド山口は後年、「サイケデリック・サウンドと称してフット・ボリューム(ワウペダル)使う程度だった。[9]」と評した。シングルの「フラワー・ボーイ」でアレンジをタートルズのフォーク・ロックに倣る模索が見られるが「ファンタジック・ガール」のイントロでみられるギター演奏などは、輸入楽器やエフェクターなど機器が行き渡っていなかった時代の創意工夫のたまもので、電気化したペダル・スティール・ギターによるサイケデリック・ギター演奏などは、欧米のロック・バンドに比べ決して遜色あるものではない[10][11]

その後中村ケントが脱退し、シングル「ファンタジック・ガール」[12]が発売された頃に代わってジョー・アキラが参加。しかし1970年、東京ヤングメイツで行われた実況録音(のち東芝から発売)後に麻生レミと小林勝彦がそれぞれ渡米を決意し脱退、石間秀樹を加えステージ・ワークをこなし、やがて石間秀樹、ジョー・アキラ(ジョー山中)、和田ジョージを残し上月ジュン(元タックスマン)を加え内田裕也はプロデュースを担当、1970年春にフラワー・トラベリン・バンドと改名し再出発した。
ディスコグラフィー
シングル

ラスト・チャンス(詞
橋本淳・曲 井上忠夫)/フラワー・ボーイ(詞 橋本淳・曲筒美京平)1969年1月25日発売(日本コロムビア/LL-10082-J)

ファンタジック・ガール(詞 橋本淳・曲 井上忠夫)/夜霧のトランペット(詞 橋本淳・曲 筒美京平)1969年11月発売 (日本コロムビア/LL-10115-J)

アルバム

LP「Challenge!」1969年7月発売 (日本コロムビア/YS-10063J)

ふたりだけで/イントルーダー/サマータイム/うれしい気持ち/グリージーハート/ヘイジョー/ホワイトルーム/左足の男/心のカケラ/ストーンフリー

CD「Challenge!」1991年3月1日発売(日本コロムビア/COCA-7252)

CD「Challenge!」2007年9月26日発売(日本コロムビア/COCP-51050)

※シングル3曲ラスト・チャンス/フラワー・ボーイ/夜霧のトランペットと未発表曲2曲追加 ファイアー/ファイヴ・トゥ・ワン[13]


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