内政干渉
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内政不干渉の原則(ないせいふかんしょうのげんそく)とは、国家国際法に反しない限り、一定の事項について自由に処理することができる権利をもち、逆に他国はその事項に関して干渉してはならない義務があるという、国家主権から導出される原則をさす。そして、こういった国家が自由に処理できる事項のことを、国内管轄事項または国内問題という。
概要

山本草二によれば、不干渉義務は歴史的に三段階の進展を遂げたとする。第一期は19世紀、主権の本質論により不干渉義務が根拠づけられ、戦争は適法な権利行使として容認される一方、戦争に至らない「命令的・圧政的干渉」(authoritative and dictatorial intervention)は不干渉義務原則のもとで許されないものとされた。第二期20世紀初頭では、戦争の違法化の流れの中で、不干渉義務の対象事項の範囲は「国際法上専ら国家の管轄に属する事項」(国際連盟規約15条8項)として、国際法上の規律に服することになる。この時期における国内管轄事項のとらえ方は、国際法が直接に規律せず国家の自由裁量に委ねられている留保分野(reserved domain)として捉えられており、ある事項が国際法の規律を免れているという消極性において、当然に国内問題と認められるものであった。第三期、第二次大戦以降は、国内問題の範囲は国際法で一層明確かつ積極的に定められ、その侵害に対しては、有効に対抗できる国際法上の保護法益となってきている、とさせる[1]
歴史

不干渉の原則は、国際関係の大部分を支配してきた。1930年代のスペイン内戦では、フランスイギリスを中心に不干渉協定が結ばれ、27か国が参加した[2]。ただし、主権国家に対する倫理的な観点だけでなく、自国の右翼勢力による影響もあった。アメリカ合衆国は基本的外交方針の一つとしてモンロー主義を掲げており、第一次世界大戦および第二次世界大戦の序盤には不干渉的立場をとっていた。その後、この原則は国際連合憲章の中心的な教義の一つとして国際法に定着し、不干渉は平和を支える重要な要素の一つとして確立された[3]

しかし、やがて冷戦の到来によって、「世界的な社会主義革命」の扇動や、それに対する「封じ込め」を口実に、多数の途上国への内政干渉の回数と度合が増大した。特に、「国際平和と安全」への脅威を防ぐためという建前は、国連憲章第7章に基づく干渉を可能にした。国連が抑制すべき干渉が行われても、米ソ両国が安全保障理事会において拒否権を握っていたため、国連の機能は弱かった。冷戦後も、コソボ紛争アラブの春など、欧米による干渉行為は続いている[4][5]
主要な条約的根拠

国際連合憲章第2条第7項この憲章のいかなる規定も、本質上いずれかの国の国内管轄権内にある事項に干渉する権限を国際連合に与えるものではなく、また、その事項をこの憲章に基く解決に付託することを加盟国に要求するものでもない。但し、この原則は、第7条に基く強制措置の適用を妨げるものではない。 ? [6]

国家間の友好関係および協力についての国際法原則に関する宣言(友好関係原則宣言、1970年国連総会決議2625)[7]いかなる国又は国の集団も、理由のいかんを問わず、直接又は間接に他国の国内問題又は対外問題に干渉する権利を有しない。したがって、国の人格又はその政治的、経済的及び文化的要素に対する武力干渉その他すべての形態の介入又は威嚇の試みは、国際法に違反する。いかなる国も、他国の主権的権利の行使を自国に従属させ又は他国から何らかの利益を得る目的で他国を強制するために、経済的、政治的その他いかなる形の措置も使用してはならず、またその使用を奨励してはならない。また、いかなる国も、他国の政体の暴力的転覆に向けられる破壊活動、テロ活動又は武力行動を組織し、援助し、助長し、資金を与え、扇動し又は、黙認してはならず、また、他国の内戦に介入してはならない。人民からその民族的同一性を奪うための武力の行使は、人民の不可譲の権利及び不干渉の原則を侵害するものである。いずれの国も、他国によるいかなる形態の介入も受けずに、その政治的、経済的、社会的及び文化的体制を選択する不可譲の権利を有する。前記パラグラフのいかなる部分も、国際の平和及び安全の維持に関する憲章の関係規定に影響を及ぼすものと解釈してはならない。
解釈
国内管轄事項とは

かつては「国内管轄事項とは、国家の政治制度や自国民の取り扱いなど国家の存立に欠かせない重要な事項である」と実体的に考えられていたが、1923年のチュニス・モロッコ国籍法事件の勧告意見で、常設国際司法裁判所は「ある事項がもっぱら国内管轄に属するか否かは、本質上相対的な問題であり、国際法の発展に依存する」とし、国内問題の範囲は動くものとしている。このため一般に「国際法が規律せず各国の主権的裁量にゆだねられている分野」と理解されている。一方で第二次大戦後は人権の保護が国際的関心事項となり、1948年の世界人権宣言を始め様々な国際人権条約が誕生した。人権問題の発生が直ちに外国からの干渉をもたらすものではないが、大規模な、とりわけ重大な人権侵害は単に国際人権保障の観点から問題となるだけではなく、周辺地域の国際の平和と安全にも脅威となる重大な事態となる恐れがあるため正当な国際的関心事項として扱われる。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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