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「内乱」はこの項目へ転送されています。日本の刑法典における犯罪類型については「内乱罪」をご覧ください。
タンペレの戦い後の都市遺跡(フィンランド内戦; 1918年)スペイン内戦(1937年)レバノン内戦(1978年)
内戦(ないせん、英: Civil war)は、国家の領域内で対立した勢力によって起こる、政府と非政府による組織間の武力紛争を指す。1816年以降に発生した内戦を収集したデータベースであるCorrelates of War
(英語版)では、内戦を「一国内で発生し、当該国政府が介入し、政府・反政府両勢力が拮抗した、年間死者が1000人に達する武力紛争」と定義しているが、この定義には異論もある[1]。「内戦 (civil war)」と「内乱 (rebellion)」は同義に用いられることも多く、用語の使い分けは慣習的なもので、厳密な区別はない。例えば、スペイン内戦は「スペイン内乱」とも呼ばれる。しかし、一般的には暴動の範囲内である事象を「内乱」と呼び、武力を用いる形態にまで発展した事象を「内戦」と呼んで区別する場合もある。欧米言語では「civil war」(英語)や「bellum civile」(ラテン語)や「Burgerkrieg」(独語)というように「市民戦争」「市民同士の戦争」という言い方をする。
ただし、近代的な国際関係・国際秩序が形成された1648年のヴェストファーレン条約前の時代では、内戦と対外戦争との区別は明確ではない。また、政府が倒されて政治体制が転換された場合にはフランス革命・共産主義革命・ルーマニア革命 (1989年)のように、内戦や内乱ではなく「革命」という表記を用いる場合も多い。
国際法上の位置づけとしては、従来は中央政府が反乱側を交戦団体として承認しない限り戦時国際法は適用されず、交戦団体承認自体がアメリカ南北戦争を例外としてはほぼ行われなかったため、ほとんどの内戦は戦時国際法の範囲から外れていた。しかし、 1949年のジュネーブ諸条約共通三条において、内戦時の戦闘外人員に対する人道的対応が義務づけられ、1977年のジュネーヴ諸条約第二追加議定書によってさらに保護は強化された。また、同年のジュネーヴ諸条約第一追加議定書により、民族解放戦争に関しては戦時国際法の全面的な適用が可能となった[2]。国家の転覆を意図した者には内乱罪が適用される例が見られるが、内戦の規模が大きくなると、アメリカ南北戦争やレバノン内戦のように政治的理由から内乱罪の適用が避けられることもある。
植民地の独立戦争などにおいて支配側は「内戦」や「反乱」と呼び、植民地側は「独立戦争」と呼ぶことが多く、アルジェリア戦争のようにアルジェリア側は「独立戦争」と呼び、フランス側は「内戦」と呼んだように、戦争の性質によって内戦かどうか意見が分かれることも多い。このような場合には、支配者側が交戦相手を国家とは見なさず、相手を戦時捕虜ではなく犯罪者として扱い、捕虜の権利を認めない、犯罪者として処刑したりする事態が発生することも多い。1989年のルーマニア革命では、国軍と秘密警察という国家機関同士の戦いになり、秘密警察の構成員は全員が非合法組織の犯罪者とされ、死刑、懲役、公職追放などの処罰を受けている。