内山高志
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内山 高志2012年、春日部市で凱旋パレードをする内山
基本情報
本名内山 高志
通称

KO DYNAMITEノックアウト・ダイナマイト[1]
階級スーパーフェザー級
身長172cm[2]
リーチ182cm[2]
国籍 日本
誕生日 (1979-11-10) 1979年11月10日(41歳)
出身地埼玉県春日部市
スタイル右ボクサーファイター
プロボクシング戦績
総試合数27
勝ち24
KO勝ち20
敗け2
引き分け1
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YouTube
チャンネル

内山高志KOチャンネル

活動期間2020年7月4日 -
ジャンルエンターテイメント
登録者数2.32万人
総再生回数137.5万回
YouTube Creator Awards



チャンネル登録者数、総再生回数は000000002020-08-07-00002020年8月7日時点。
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内山 高志(うちやま たかし、1979年11月10日 - )は、日本の元プロボクサー。実業家。ボクシング解説者。第35代OPBF東洋太平洋スーパーフェザー級王者。元WBA世界スーパーフェザー級スーパー王者。その戦いぶりから「ノックアウトダイナマイト」の異名を持つ。ワタナベボクシングジム所属。入場曲はThree 6 Mafiaの「It's A Fight」。

日本におけるボクシング世界王者として、歴代3位となる11回連続防衛の記録を保持した。目次

1 来歴

1.1 アマチュア時代

1.2 プロ時代

1.2.1 東洋太平洋王座獲得

1.2.2 WBA王座獲得と防衛

1.2.3 スーパー王座認定

1.2.4 現役続行

1.2.5 現役引退


1.3 引退後


2 世界的な評価、海外進出の頓挫の数々

3 エピソード

4 戦績

5 獲得タイトル

5.1 アマチュア

5.2 プロ

5.3 受賞歴


6 著書

6.1 写真集


7 出演

7.1 映画

7.2 カラオケ

7.3 ゲーム

7.4 CM


8 脚注

9 関連項目

10 外部リンク

来歴
アマチュア時代

長崎県の三人兄弟の次男として生まれ、幼少期に埼玉県春日部市に転居。小学校時代は内牧少年野球クラブで野球に親しみ、春日部市立春日部中学校時代にはサッカー部に所属。辰吉丈一郎川島郭志などの影響を受け、ボクシングの強豪である花咲徳栄高校に進学し、ボクシングに転向した。高校3年時の1997年に初の全国大会出場となる高校総体バンタム級で出場しベスト8入り。同年のなみはや国体少年の部バンタム級では榎洋之らを倒し準優勝した。

高校卒業後はボクシングの名門である拓殖大学に進学。しかし、補欠にも選ばれず同級生の荷物運びという厳しい扱いを受ける。この屈辱をばねにして努力を重ね 、階級もライト級に上げた。大学4年時の2001年には新世紀・みやぎ国体で、当時アマチュア最強とされた飯田育夫(日本大学)を追いつめたものの判定で敗れた。同年の全日本アマチュアボクシング選手権大会では飯田を破り優勝。

大学卒業後、高知県の久保建設に事務員として勤務しながら2002年よさこい高知国体で優勝し、全日本選手権を連覇。同年に行われたタイ王国主催のキングスカップでは、優勝したアトランタオリンピック金メダリストのソムラック・カムシンに敗れ、銅メダルを獲得[3][4]


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