内山晃
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経済学者の「内山昭」とは別人です。

日本政治家内山 晃うちやま あきら
2011年4月20日、総務大臣政務官として
全国都道府県統計主管課(部)長会議に出席
生年月日 (1954-03-03) 1954年3月3日(70歳)
出生地 日本 千葉県柏市
出身校専修大学商学部
前職内山労務管理事務所所長
流山青年会議所理事長
所属政党(民主党→)
新党きづな→)
国民の生活が第一→)
日本未来の党→)
新党大地→)
希望の党→)
旧国民民主党→)
立憲民主党→)
日本維新の会
称号社会保険労務士
公式サイト ⇒日本維新の会 内山あきら
衆議院議員
選挙区(千葉7区→)
比例南関東ブロック→)
千葉7区
当選回数3回
在任期間2003年11月10日 - 2012年11月16日
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内山 晃(うちやま あきら、1954年昭和29年)3月3日 - )は、日本政治家社会保険労務士

衆議院議員(3期)、総務大臣政務官菅直人第1次改造内閣菅直人第2次改造内閣)、新党きづな代表などを歴任した。
経歴2011年4月20日、全国都道府県統計主管課(部)長会議に出席2011年4月20日、特別行政相談所を視察

千葉県柏市生まれ(現住所は流山市西初石)[1][2]。流山市八木北小学校、流山市立常盤松中学校、専修大学松戸高等学校専修大学商学部卒業[1]

1987年内山労務管理事務所所長に就任。1991年流山青年会議所理事長に就任。1995年には年金ライフ社を設立した。

2000年6月25日第42回衆議院議員総選挙に立候補したが落選。2003年11月9日第43回衆議院議員総選挙では、自由民主党松本和巳を破り初当選した。2005年9月11日第44回衆議院議員総選挙では、松本に小選挙区で敗れたが比例復活で再選。

2006年、松本が運動員の公職選挙法違反による連座制対象となった責任を取って辞職したことから4月に行われる千葉7区補欠選挙への立候補を検討した。しかし、同じ千葉県連に所属していた永田寿康が国会質疑で取り上げた堀江メール問題で民主党に対する風当たりが強く、当選は困難であると判断し、立候補を見送った。この選挙では千葉県議の太田和美が民主党の公認を得て当選。これにより、同じ選挙区を地盤とする民主党の議員が2人となった。

2007年5月30日、いわゆる消えた年金問題の年金の支給漏れに対する請求権の時効を撤廃する救済法案が衆議院の厚生労働委員会で採決された。その際に審議が不十分な上、根本的な救済にならないとして桜田義孝厚生労働委員長(当時)を羽交い締めにして採決を阻止しようとし、この行為が「品位を欠いている」として30日間の登院停止処分が懲罰委員会で決定された。これに対して内山は「国民の不利益につながる法案に抗議したもので恥じる事はない」と反論している[3]

第45回衆議院議員総選挙における太田との公認調整問題について、民主党代表小沢一郎2007年12月に次回総選挙でも前回と同様に内山を7区から擁立し、太田を他の選挙区へ転出させる方針を表明。翌2008年に太田が福島2区へ「国替え」することで決着が図られた。2009年8月30日の第45回総選挙では小選挙区で当選し、3選。

2010年9月の菅直人第1次改造内閣総務大臣政務官に就任。翌年1月の第2次改造内閣でも留任した。


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