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出典検索?: "兵法二天一流メモリアル"
兵法二天一流メモリアル(へいほうにてんいちりゅうメモリアル)は、フランスローヌ県グレゼにある、宮本武蔵や日仏交流史、特にリヨンと日本の交流史などを記念する私設記念館である。2014年、グレゼ在住のヤニック(Yannik Barrot)により、グレゼに兵法二天一流剣術のフランス支部として「宮本武蔵道場」が開設された[1]。二天一流を受け継ぐとされる剣術や合気道の道場を構える。2014年に兵法二天一流メモリアルと改称した。 兵法二天一流メモリアルでは、世間にほとんど知られていない以下のような人物を記念している。 オーギュスト・ギノンはジャルニウー ・コミューンの重要人物である[2]。1817年に リエルグで生まれ、リヨン近くのサン=フォン
記念物
オーギュスト・ギノンとルシアン・ピカール兵法二天一流メモリアルの記念碑。
エミール・ギメと山田忠澄・山田菊校長であったレオン・デュリーと出会った。ギメは京都仏学校で学ぶ日本人学生をリヨンに招聘し、後にリヨン総領事となる山田忠澄ら2名が選ばれ、マルティニエール学校(リヨン科学・工業技術学校)にて絹産業などの先進技術を学んだ。彼らは、1919年に日本を訪れたリヨン大学の学生たちと面会している。
山田忠澄は、1885年在リヨン日本領事館の領事となり、後の妻マルグリットと知りあう。1897年に2人の間にキク(山田菊)が生まれた。キクはエドガー・キネというリセで普通教育を受け、フランス文学を学んだ後、東京の聖心女子学院を卒業した。フランスに戻るとソルボンヌ大学で歴史と芸術を学び、文筆家として活躍した。キクの最初の小説「マサコ」や自伝的小説「神無月」(Le Mois sans dieux)は幾度も再版されている。 1996年6月、リヨンで開催されたG7サミットに際して、リヨンで日本文化事業が行われた。また、1997年4月から1998年3月には「フランスにおける日本年」が行われ、パリ日本文化会館がオープンした。ルイ・ミシャレはリヨン日本クラブ会長として、ボジョレーとリヨン地方における日仏交流事業に貢献した。晩年にはリヨン日本クラブの関連資料を兵法二天一流メモリアルに寄贈した。
ルイ・ミシャレ
脚注[脚注の使い方]^ ≪ Un pont symbolique vers l'Asie(アジアへの象徴的架橋) ≫、Le Progres、2015年12月12日 ⇒http://www.leprogres.fr/beaujolais/2015/12/12/un-pont-symbolique-vers-l-asie
^ “オーギュスト・ギニョン(ジャルニウー・コミューンの建設者)”
^ ルシアン・ピカール ⇒http://leg.hon.beaujolais.free.fr/doc/lucien_picard.pdf
公式サイト
http://www.memorial-heiho-niten-ichi-ryu.com