兵庫縣神戸護國神社
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兵庫縣神戸護國神社

所在地兵庫県神戸市灘区篠原北町四丁目5番1号
位置.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯34度43分18.8秒 東経135度13分28.5秒 / 北緯34.721889度 東経135.224583度 / 34.721889; 135.224583 (兵庫縣神戸護國神社)座標: 北緯34度43分18.8秒 東経135度13分28.5秒 / 北緯34.721889度 東経135.224583度 / 34.721889; 135.224583 (兵庫縣神戸護國神社)
主祭神兵庫県東部(丹波摂津淡路)14市の国事殉難者 53,257柱
社格等旧内務大臣指定護国神社
別表神社
創建1941年昭和16年)6月
本殿の様式神明造
例祭5月6日(春季慰霊大祭)
11月6日(秋季慰霊大祭)
主な神事みたま祭(7月最終金・土曜日)
地図.mw-parser-output .locmap .od{position:absolute}.mw-parser-output .locmap .id{position:absolute;line-height:0}.mw-parser-output .locmap .l0{font-size:0;position:absolute}.mw-parser-output .locmap .pv{line-height:110%;position:absolute;text-align:center}.mw-parser-output .locmap .pl{line-height:110%;position:absolute;top:-0.75em;text-align:right}.mw-parser-output .locmap .pr{line-height:110%;position:absolute;top:-0.75em;text-align:left}.mw-parser-output .locmap .pv>div{display:inline;padding:1px}.mw-parser-output .locmap .pl>div{display:inline;padding:1px;float:right}.mw-parser-output .locmap .pr>div{display:inline;padding:1px;float:left}兵庫縣神戸護國神社兵庫縣神戸護國神社 (神戸市)神戸市の地図を表示兵庫縣神戸護國神社兵庫縣神戸護國神社 (兵庫県)兵庫県の地図を表示
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兵庫縣神戸護國神社(ひょうごけんこうべごこくじんじゃ)は、兵庫県神戸市灘区篠原北町にある神社護国神社)である。兵庫県東部(丹波摂津淡路(14市)ゆかりの英霊53,257柱を祀る。境内敷地は2200あり、散華された英霊を慰めるために境内並びに神社前の道路(主要地方道山麓線)にが植樹されている。
概要

明治以降、兵庫会下山(現:神戸市兵庫区会下山町)に招魂祭庭、祭壇を設けて官民合同による戦没者の慰霊祭祀(招魂祭)が行われていたが、英霊の勲功を顕彰するためには社殿を建立して奉斎すべしとする県民各層の熱意により、神戸市灘区王子町の旧関西学院跡地約3000坪(現在の王子公園内)に鎮座地を決定し、1940年(昭和15年)4月27日に地鎮祭を斎行[1]、素木流造の本殿と諸社殿が建立された。1941年昭和16年)6月25日に内務大臣指定護国神社に指定[2]、翌7月17日から3日間、竣工鎮座祭の祭典が催され、7月17日に清祓式・神殿祭、18日に鎮座祭、19日に鎮座祭・竣工式・神振行事が執行された[1][3]

1945年(昭和20年)6月5日の神戸大空襲で社殿及び境内の建物を焼失し[4]第二次世界大戦後のGHQ(連合国軍最高司令官総司令部占領統治下は、「護国神社」の名称では軍国主義施設として廃止される恐れがあるとして、社号を「兵庫御霊神社」と改称していた。1949年(昭和24年)9月18日、神戸市灘区篠原北町の現在地に遷座[5]1950年(昭和25年)に兵庫縣神戸護國神社奉賛会が設立されて社殿の復興事業を進めた。

主権回復後の1952年(昭和27年)に社号を「兵庫縣神戸護國神社」に復称し、1957年(昭和32年)1月に社務所が落成、1959年(昭和34年)3月17日に仮殿遷座[6]、同年11月27日午後6時に本殿遷座祭[7]、翌28日に奉幣祭が行われた。遷座祭では昭和天皇から下賜された幣饌料を奉献、靖国神社奉賛会会長北白川祥子神社本庁統理代理宝来正信、伊勢神宮小林少宮司、靖国神社筑波藤麿宮司、元陸軍大将下村定、元海軍大将野村吉三郎等多数が参列、兵庫県警察音楽隊の合奏によって祭儀が進められた。総工費は5千万円(当時)[8]1960年(昭和35年)11月25日、昭和天皇から幣饌料が下賜[9]1966年(昭和41年)5月6日、兵庫縣神戸護國神社創立25周年記念大祭を斎行[10]、同年11月5日に常陸宮同妃の御参拝が行われている[11]


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