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兵庫県競馬組合(ひょうごけんけいばくみあい)は、園田競馬場と姫路競馬場の2ヶ所の地方競馬を主催する一部事務組合である。兵庫県、姫路市及び尼崎市の1県2市で組織されている。組合としての運営は1981年からだが、本項ではそれ以前に兵庫県で施行された地方競馬についても包括的に取り扱う。 競走体系として長らくアングロアラブ競走馬が専門であり、「アラブのメッカ」と謳われるほどのレベルの高さを誇った。しかしアングロアラブの生産頭数が激減したこともあり、JRA(日本中央競馬会)との交流を促進するため1999年にサラブレッドを導入し、JRAとの条件交流競走やダートグレード競走を盛んに実施するようになった。アラブ在籍馬の減少に伴い段階的にアラブ限定重賞競走が廃止され、最後に残っていた「楠賞全日本(兵庫)アラブ優駿」も2003年度をもって廃止され、2004年6月限りでアラブ系単独競走も休止。またアラブ系2歳新馬の入厩も停止された。2006年にはアングロアラブ競走馬の在籍頭数が0となっており、事実上アラブ馬は全廃となり、現在はすべてがサラブレッドのみとなった。 基本は尼崎市の園田競馬場で開催し、年に3か月程度(主に3月、7月、11月)に姫路市の姫路競馬場での開催を行うようにしていたが、2000年代に入ってから開催を次第に園田のみに集中させ、姫路での開催は年ひと月(主に初夏の候)に3開催程度を行う程度になっていた。2012年9月に園田にナイター開催用照明塔が整備されて以後は、すべての開催を園田のみで開催しており、姫路は事実上休止状態となっていた(馬券発売については継続)が、2020年1月15日に8年ぶりに開催が再開された[1]。現在は姫路での開催は冬季(1月中旬頃から3月中旬頃)に行われている。 兵庫県の地方競馬場の先駆けは、1929年に淡路島に開設された淡路競馬場である。1930年には園田への移転が決まり、同年12月15日には早くも最初の開催が行われた。その後も順調に開催され、全国有数の売り上げを誇ったが、1939年に施行された軍馬資源保護法により、軍用保護馬鍛錬競走が引き続き開催され、1944年まで開催は続けられた。 競馬開催中止期間中は、日本陸軍に倉庫として利用され、さらに戦後は伊丹空港に進駐した進駐軍に接収され、爆弾などの集積地として利用されたが、1946年の地方競馬法制定に伴い、接収解除されて1946年12月に園田競馬場での開催復活した。 再開直後こそ、非常に高い売り上げを記録していたが、競輪開催によって客足を奪われ、1950年代半ばまでは売り上げ低迷に苦しんでいた。この頃、馬場を利用してオートレースの開催を行った事もあったが、こちらは短期間で開催中止されている。また、当初はサラブレッド種の競走馬も在籍していたが、当時はまだサラブレッドの生産数も少なかった為、早い段階でアングロアラブ系競走馬のみでの競走に変更された。また競走種別は平地競走と騎乗速歩競走だけであったが、速歩競走が繋駕速歩競走に変更され、さらに置き障害を設置しての障害競走が行われる様になった。しかし速歩競走は1954年に廃止され、速歩競走用の用具類は岩手県競馬組合に譲渡された。 低迷を続けていた入場人員や売り上げは、1960年には園田のスタンド新築などにより上昇に転じ、やがて大井競馬場、川崎競馬場に次ぐ全国3位の売り上げを記録する様になった。1966年にはスタンド増築工事も完成し、全長154mとなった。一方、1972年頃を目処に、馬場東側の旧猪名川部分を買収して馬場1周1200mまで延長する計画もあったが、こちらは実現しなかった。 障害競走は1970年代前半に廃止され、以後はアラブ系平地競走のみとなった。しかしこの頃から園田競馬場では度重なる不祥事に見舞われ、開催休止に追い込まれた事もあった。 その後もアラブ系競走のみ実施され、「アラブのメッカ」と評される事もあったが、1995年にJRAでアラブ系競走が廃止された影響からアングロアラブ種の生産数が減少を続け、アラブ系単独での競走数の維持が困難になる事が予測されたため、1999年には再びサラブレッド系競走馬による競走が行われる事になった。その際、馬場の拡張工事などが行われている。(アラブ種限定戦の最終レースは2004年8月17日の第2レースC1三歳以上) 2000年代前半は全盛期と比べて入場人員や売り上げの減少が続き、小牧太や岩田康誠ら上位騎手の中央転出も相次いだ。一方で2008年にジャパンブリーディングファームズカップ (JBC競走) が園田競馬場で開催された際には、22,174人の観衆を集め、売り上げも最高記録を更新した。またJBC開催を契機にスタンドや食堂の改装を行い、オッズパーク限定での5重勝単勝式勝馬投票券『Odds Park LOTO』の発売などを行い、ファンサービスの向上を図っている。 これらの取り組みが功を奏した他、折しも2010年代はIPATやSPAT4などこれまで園田(姫路)がサービス対象場でなかったインターネット投票の参入が続いたこともあって、同年代前半を境に経営は好転。それまで減額の続いていた賞金も増額の兆しを見せており、2020年度からは園田金盃は1着賞金3000万円、兵庫ダービー及び楠賞は1着賞金2000万円に増額されている。また、古馬最下級C3級の1着賞金が2021年度から50万円になり、全地方競馬中で南関東に次いで高知と並ぶ2番目に高い水準になった。 2023年11月3日に大井競馬場で行われたJBCスプリントでイグナイター(園田・新子雅司厩舎)が勝利し、兵庫県所属馬として初のGI級競走優勝馬となった[3]。
概要
歴史
不祥事
1966年から1968年にかけて、調教師28名、馬主2名、厩務員28名、騎手3名、その他9名が関係する大規模な不正が発覚した。これは、薬局関係者より購入した禁止薬物のカフェインやエフェドリンなどの興奮剤をレース前に競走馬に注射したもので、注射した薬物の総量は287,000ccに及んだという。事件の関係者75名は送検され、開催は一時中止を余儀なくされた。また1967年には、騎手数名による覚醒剤使用が発覚して警察に逮捕されたが、その後の捜査の結果、中央競馬でも覚醒剤を使用していた騎手4名が逮捕されるに至った。
1971年6月には、暴力団に買収された騎手や厩務員らによる八百長が発覚、5開催の開催休止を余儀なくされた。こうした不正行為を受けて、周辺住民との間で「将来的には園田競馬は廃止する方向で検討する」という覚書を交わしてようやく再開に漕ぎつけたという経緯があるが、この時の改革は小手先に過ぎず、1974年の事件を引き起こす一因となった。
1974年1月30日、園田競馬場で発走に不備があったレースの中断の処理を巡り、怒ったファンが暴徒化して投票所を襲い売上金の一部を奪った上、放火するという「園田焼き討ち事件(園田騒擾事件)」が発生した。この事件により兵庫県競馬は3開催18日にわたって開催自粛を余儀なくされた。
同競馬場で2006年12月6日に行われたレースで、1着になった競走馬「ロゴス」の尿から、禁止薬物のカフェインが検出された。このため、ロゴスは失格処分となったが、その後、2007年3月になって、採尿を担当した警備会社の男性社員(25歳)が、兵庫県尼崎東警察署の調べに対し「尿の量が規定に足りず、自分の尿を混ぜた」と供述していたことが判明した。